黒栖は自分の通う高校、陸央高等学校から、徒歩二十分のところにある1Kマンションの二階に住んでいる。
あれから無事に帰宅した黒栖は、ドアポストに入っている封筒を手に取った。
そこには、数枚の一万円札が入っている。これは異世界にデスハザードとして行った日には決まってドアポストに投げ込まれていた。どうやら、殺しに来たデスハザードを退けても同様にもらえるらしい。
「はぁ」
それを黒栖は溜息を吐きつつ、部屋にあるボックス型の引き出しに無造作にしまう。そこに防犯の意識は無い。
ついでに、黒栖はスクールバッグも机に置く。デスハザードを突き飛ばす直前に投げ捨てたはずのスクールバッグであるが、白羽から走り去る時には何事も無かったように手元にあったのだ。
そうして黒栖は椅子に腰かけると、困ったように右手を額に当てた。すると脳内に浮かんでくるのは、自分という存在の歪さだ。
そもそも、黒栖は住んでいるマンションや、通っている学校など、その手続きをした記憶が無い。調べても仕組まれていたかのように分からず、その事に関係する人たちは、皆口裏を合わせたのか、そろって戸惑うのだ。
何を言っているんだこいつは? という風に。
その内、黒栖も深く考えなくなっていた。
しかし、それは明らかに異常な事である。自分がこの場所に無理やり存在させられたようなものだ。
それに加え、黒栖はこの町、陸央町から出ることができない。町の境界線には見えない壁があるのか、先に行くことができなくなっている。
更に電車やバスなどに関しては、乗車することすらできない。
その中で、唯一タクシーには乗ることができる。だが、そうだとしても、乗ったまま町の境界線上まで向かう事を試す気は無かった。
黒栖の予想では、十中八九境界線に押し返される形で、タクシーの後部ガラスから飛び出すことになるだろうと、そう思っている。
因みに、タクシーが大丈夫ならば、乗用車も平気だという想像は容易い。だが生憎、黒栖には自分を車に乗せてくれるような知人は存在しておらず、試すことはできなかった。
つまり、黒栖は陸央町という箱庭に閉じ込められているのだ。黒栖にとってこの町は、デスハザードとして異世界に行く前の待機場所という考えしかない。学校は、暇つぶしに用意されたものだと思っていたが、もしかしたら白羽という存在が関係しているのではないかと、黒栖は思い始めている。
デスハザードを知っていた存在。それを作り出した謎の幼馴染。その事実を知る為に、自分は学校に通っていたのかもしれないと、黒須はそう考える。
ならば、翌日にでもその事について、白羽に聞いてみようかと思考するが、白羽の安全面の不安を思い出し、近づくべきではないと再度思考する。
その理由は簡単で、デスハザードは対象者である覚醒させるべき存在と、その彼女が同時にいる場所に出現するのだ。
故に、黒栖が白羽に近づく事は躊躇われる。
「いったいどうすれば……」
黒栖は思わず言葉を吐き出す。だが、それも即座に解決する。
「次は……俺の番か」
そう、デスハザードが死に際に残した言葉。つまり、自分は近いうちに死ぬかもしれないという事から、黒栖は今それを考えても仕方がないと思ったのだ。それを乗り越えなければ、結局のところ意味が無いのだと。ならば、その日を無事に生還できてから、白羽に聞くべきか、諦めるかを考えることにした。
◆
翌日、黒栖は学校を欠席した。今までは特に意味も無く、とりあえず通っていたに過ぎない。白羽がいる以上、学校に行くことはできなかった。
しかし、だからと言って何もしないのは手持ち無沙汰である。
そう考えた黒栖は、昨日のように覚醒エネルギーを消費することで、一時的に引き出せるデスハザードの能力を使用することにした。
使用するのは対象者の居場所を把握する事ができる追撃者と、名称の割にできることが限られている時空魔法だ。
それを併用する事によって、黒栖は自身の視界を飛ばし、対象者を俯瞰する形で覗くことができる。
他の能力を使用しない事で消費する覚醒エネルギーは、微々たるものなので問題は無い。
対象者はもちろん白羽である。下心というよりは、何かしらの事故で命を落とさないように見張る為だった。黒栖には自分という存在を知る鍵は白羽しかおらず、万が一何かあってからでは遅いのだ。
そういう焦燥感に駆られ、黒栖は行動を開始した。
すると、早速見えてきた光景は、一時間目もまだ始まっていない教室であり、白羽は現在複数のクラスメイトと談笑している。時より、昨日の事を気にしているのか、黒栖の席をいないのにも拘らず、チラチラと何度か視線を送っていた。
その事に気がついた一人の少年が、積極的に白羽に話しかけ始める。金髪に染めた髪に、芸能事務所にスカウトされそうなほどの容姿、笑顔は何処かの国の王子様のようであり、事実、クラスカースの頂点に君臨する彼は、貴島旺斗という。
高校に上がったばかりだというのに、五月中旬にして既にファンクラブが発足している。
それだけに女性関係の噂が後を絶たない。
黒栖は、それを見て聴力もその場に飛ばすかどうか迷うも、最低限のプライバシーは守るつもりなので自重した。
しかし、何故か旺斗が白羽に近寄って話しかけている光景は、どうしてだろうか苛立たしいと思ってしまう。
それから授業が始まり、そして進んで行く。
黒栖は娯楽というものをほとんど知らず、実際部屋にはパソコンはおろか、テレビすらも無い。現状ある家具は全て黒栖が買ってきた物だ。
故に、覗きは人として踏み外さないとき以外は常に見ている。主にお手洗いや着替える時などだ。
しかし、覗いている時点で踏み外していることを、残念ながら黒栖は気がついていない。
そうして、放課後になると、白羽が学校裏に呼び出されていた。
当然呼び出したのは旺斗である。
白羽が現れると、優しそうな笑みを浮かべ、その背後には無数に菱形の黄色い輝きを幻視するほどだ。
「チッ」
それを見て黒栖はつい舌打ちをしてしまう。理由は不明だ。
「あ?」
すると、何という事だろうか、旺斗が白羽に壁ドンをしていた。
何やら話しかけているようだが、等の白羽はどことなく笑みが引きずっている。
案の定白羽はするりと旺斗の壁ドンから抜け出すと、何か言葉を残してその場を後にしだす。
だが、白羽は気がついていない。背後を見送る旺斗の表情がまるで、悔しそうであり、また怒りを露わしたそれは、王子様というイメージからはほど遠いものとなっていた事に。
その事実を唯一見ていた黒栖は、旺斗が何か仕出かす予感がしてはならない。
一瞬旺斗も監視するべきかと思考するが、そんな余裕は無いと即座に考えを無かったことにする。
仮に何か白羽に対して危害を加えようとしたならば、その時は躊躇わないと心に決めた。
結局覗きを続けて、到頭白羽の住んでいるマンションまで黒栖は特定してしまう。
最早悪質なストーカーであるが、黒栖は至って真面目である。
その後は、風呂場やお手洗いは白羽から視点を外し、部屋の周囲を監視することで回避すると、気がつけば就寝時間となっていた。
黒栖が自分の睡眠をどうしようかと悩んでいる頃、その時はついにやってきてしまう。
「……」
それは、前兆。
デスハザードとして、異世界に向かう時のものだ。
「やれることを、するだけか……」
自分自身に言い聞かせるように、黒栖はそう呟いた。
そして、黒栖の視界は暗転する。
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