003 嵐の前の静けさ

 黒栖は自分の通う高校、陸央りくおう高等学校から、徒歩二十分のところにある1Kマンションの二階に住んでいる。
 あれから無事に帰宅した黒栖は、ドアポストに入っている封筒を手に取った。

 そこには、数枚の一万円札が入っている。これは異世界にデスハザードとして行った日には決まってドアポストに投げ込まれていた。どうやら、殺しに来たデスハザードを退けても同様にもらえるらしい。

「はぁ」

 それを黒栖は溜息を吐きつつ、部屋にあるボックス型の引き出しに無造作にしまう。そこに防犯の意識は無い。
 ついでに、黒栖はスクールバッグも机に置く。デスハザードを突き飛ばす直前に投げ捨てたはずのスクールバッグであるが、白羽から走り去る時には何事も無かったように手元にあったのだ。

 そうして黒栖は椅子に腰かけると、困ったように右手を額に当てた。すると脳内に浮かんでくるのは、自分という存在の歪さだ。

 そもそも、黒栖は住んでいるマンションや、通っている学校など、その手続きをした記憶が無い。調べても仕組まれていたかのように分からず、その事に関係する人たちは、皆口裏を合わせたのか、そろって戸惑うのだ。
 何を言っているんだこいつは? という風に。

 その内、黒栖も深く考えなくなっていた。
 しかし、それは明らかに異常な事である。自分がこの場所に無理やり存在させられたようなものだ。
 それに加え、黒栖はこの町、陸央町りくおうちょうから出ることができない。町の境界線には見えない壁があるのか、先に行くことができなくなっている。
 更に電車やバスなどに関しては、乗車することすらできない。

 その中で、唯一タクシーには乗ることができる。だが、そうだとしても、乗ったまま町の境界線上まで向かう事を試す気は無かった。
 黒栖の予想では、十中八九境界線に押し返される形で、タクシーの後部ガラスから飛び出すことになるだろうと、そう思っている。

 因みに、タクシーが大丈夫ならば、乗用車も平気だという想像は容易い。だが生憎あいにく、黒栖には自分を車に乗せてくれるような知人は存在しておらず、試すことはできなかった。

 つまり、黒栖は陸央町という箱庭に閉じ込められているのだ。黒栖にとってこの町は、デスハザードとして異世界に行く前の待機場所という考えしかない。学校は、暇つぶしに用意されたものだと思っていたが、もしかしたら白羽という存在が関係しているのではないかと、黒栖は思い始めている。

 デスハザードを知っていた存在。それを作り出した謎の幼馴染。その事実を知る為に、自分は学校に通っていたのかもしれないと、黒須はそう考える。
 ならば、翌日にでもその事について、白羽に聞いてみようかと思考するが、白羽の安全面の不安を思い出し、近づくべきではないと再度思考する。

 その理由は簡単で、デスハザードは対象者である覚醒させるべき存在と、その彼女ヒロインが同時にいる場所に出現するのだ。
 故に、黒栖が白羽に近づく事は躊躇ためらわれる。

「いったいどうすれば……」

 黒栖は思わず言葉を吐き出す。だが、それも即座に解決する。

「次は……俺の番か」

 そう、デスハザードが死に際に残した言葉。つまり、自分は近いうちに死ぬかもしれないという事から、黒栖は今それを考えても仕方がないと思ったのだ。それを乗り越えなければ、結局のところ意味が無いのだと。ならば、その日を無事に生還できてから、白羽に聞くべきか、諦めるかを考えることにした。

 ◆

 翌日、黒栖は学校を欠席した。今までは特に意味も無く、とりあえず通っていたに過ぎない。白羽がいる以上、学校に行くことはできなかった。

 しかし、だからと言って何もしないのは手持ち無沙汰である。
 そう考えた黒栖は、昨日のように覚醒エネルギーを消費することで、一時的に引き出せるデスハザードの能力を使用することにした。

 使用するのは対象者の居場所を把握する事ができる追撃者チェイサーと、名称の割にできることが限られている時空魔法だ。
 それを併用する事によって、黒栖は自身の視界を飛ばし、対象者を俯瞰ふかんする形で覗くことができる。
 他の能力を使用しない事で消費する覚醒エネルギーは、微々たるものなので問題は無い。

 対象者はもちろん白羽である。下心というよりは、何かしらの事故で命を落とさないように見張る為だった。黒栖には自分という存在を知る鍵は白羽しかおらず、万が一何かあってからでは遅いのだ。
 そういう焦燥感しょうそうかんられ、黒栖は行動を開始した。

 すると、早速見えてきた光景は、一時間目もまだ始まっていない教室であり、白羽は現在複数のクラスメイトと談笑している。時より、昨日の事を気にしているのか、黒栖の席をいないのにもかかわらず、チラチラと何度か視線を送っていた。

 その事に気がついた一人の少年が、積極的に白羽に話しかけ始める。金髪に染めた髪に、芸能事務所にスカウトされそうなほどの容姿、笑顔は何処かの国の王子様のようであり、事実、クラスカースの頂点に君臨する彼は、貴島旺斗きじまおうとという。

 高校に上がったばかりだというのに、五月中旬にして既にファンクラブが発足している。
 それだけに女性関係の噂が後を絶たない。

 黒栖は、それを見て聴力もその場に飛ばすかどうか迷うも、最低限のプライバシーは守るつもりなので自重した。
 しかし、何故か旺斗が白羽に近寄って話しかけている光景は、どうしてだろうか苛立いらだたしいと思ってしまう。

 それから授業が始まり、そして進んで行く。
 黒栖は娯楽というものをほとんど知らず、実際部屋にはパソコンはおろか、テレビすらも無い。現状ある家具は全て黒栖が買ってきた物だ。

 故に、覗きは人として踏み外さないとき以外は常に見ている。主にお手洗いや着替える時などだ。
 しかし、覗いている時点で踏み外していることを、残念ながら黒栖は気がついていない。

 そうして、放課後になると、白羽が学校裏に呼び出されていた。
 当然呼び出したのは旺斗である。
 白羽が現れると、優しそうな笑みを浮かべ、その背後には無数に菱形ひしがたの黄色い輝きを幻視するほどだ。

「チッ」

 それを見て黒栖はつい舌打ちをしてしまう。理由は不明だ。

「あ?」

 すると、何という事だろうか、旺斗が白羽に壁ドンをしていた。
 何やら話しかけているようだが、等の白羽はどことなく笑みが引きずっている。
 案の定白羽はするりと旺斗の壁ドンから抜け出すと、何か言葉を残してその場を後にしだす。

 だが、白羽は気がついていない。背後を見送る旺斗の表情がまるで、悔しそうであり、また怒りをあらわしたそれは、王子様というイメージからはほど遠いものとなっていた事に。

 その事実を唯一見ていた黒栖は、旺斗が何か仕出かす予感がしてはならない。
 一瞬旺斗も監視するべきかと思考するが、そんな余裕は無いと即座に考えを無かったことにする。
 仮に何か白羽に対して危害を加えようとしたならば、その時は躊躇ためらわないと心に決めた。

 結局覗きを続けて、到頭白羽の住んでいるマンションまで黒栖は特定してしまう。
 最早悪質なストーカーであるが、黒栖は至って真面目である。
 その後は、風呂場やお手洗いは白羽から視点を外し、部屋の周囲を監視することで回避すると、気がつけば就寝時間となっていた。

 黒栖が自分の睡眠をどうしようかと悩んでいる頃、その時はついにやってきてしまう。

「……」

 それは、前兆。
 デスハザードとして、異世界に向かう時のものだ。

「やれることを、するだけか……」

 自分自身に言い聞かせるように、黒栖はそう呟いた。
 そして、黒栖の視界は暗転する。


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