「……くそがっ!」
自分の世界に戻ってくると、黒栖はそう言わずにはいられなかった。
握りしめた両手から僅かに血が流れる。
救う事ができなかった。いや、そもそも救う事はできないのだ。
「……そうだ。白羽は」
思わず、視界を飛ばして白羽の安否を確認する。そこにはベッドで静かに眠っている白羽がいた。
当然の事だ。死んだのは並行世界の白羽なのだから。そう理解していても、黒栖は途端に涙が込み上がって来る。
止まらなかった。これが、終わりではない。そうどこかで思ってしまうのだ。そんな生易しいものではないと。
この世界にまたデスハザードがやってくる。そして、自分もまたデスハザードとして、再び白羽を殺しに行かなければならない。
黒栖は地獄に落ちたような気持ちだ。これこそが、罰なのではないかと。
今まで幾度となく、異世界の彼女たちを殺してきたのだ。その報いなのだと黒栖は思ってしまう。
罪悪感と共に時間が流れて行く。思考は繰り返される。自責の念が絶えることは無い。気がつけば、夜が明けていた。
◆
足取りが重い。黒栖は、現在学校に来ていた。
白羽に近づくべきではない。当初はそう思っていたが、例外がいくつもある。もしかしたら離れていても、デスハザードはやってくるかもしれない。そんな考えがあった。
だが、本当はただ単に、白羽に会いたかったのかもしれない事を、黒栖は気がつかない。
遅刻とまではいかないまでも、それなりに遅い時間。
黒栖は、階段を上る。その時、何故この学校は一年生が三階なのだと、行き場の無い怒りがあった。
一階であれば、並行世界の白羽が、その場で死ぬことは無かったはずだと、そう思ったからだ。
そうして、なんとか教室までやってくると、黒栖に気がつく者がいた。
「あ、狭間君!」
それは、白羽だった。
生きている。当然の事だが、それだけで、黒栖の心に何かが込み上がってきた。
「……」
「どうかしたの?」
黒栖の様子にどこか心配になったのか、白羽が近づく。
「――え」
気がつけば黒栖は、いつの間にか白羽の事を抱きしめていた。
その温もりを逃がさないように、強く。
一瞬驚いた白羽だったが、何かを察して黒栖の背中に両手を回し、慰めるように撫で始める。
そこには何とも言えない二人だけの空間が出来上がっていた。
当然周囲にはただ事ではない。
女子生徒は黄色い声を上げ、男子生徒は戸惑いと嫉妬の感情に飲まれる。その中で、特に反応した人物が、二人に割り込む。
「おいっ! 僕の白羽から離れろ!」
そう言い放つのは、貴島旺斗だ。
二人を無理やり引き剥がすと、まるで黒栖を盗人と言わんばかりに視線をぶつけてくる。
だが、黒栖はその視線などものともしない。
他の生徒たちは、三角関係かと沸き立つ者、嫉妬する者、我関さずとする者に分かれた。
すると、狙ったかのように学校のチャイムが鳴り響き、時は動き出す。
「私は貴島君のものじゃないよ」
「え?」
白羽の思わぬ言葉に、旺斗は間の抜けた声を漏らす。
「まじかよ、貴島が振られたぜ!」
「あいつ何様のつもりよ! でもある意味安心したわ」
「てか、狭間ってあんな大胆な事する奴だったんだな」
周囲が騒ぎ出すと、旺斗は居心地が悪くなったのか、顔を真っ赤にさせて、最後には黒栖を射殺さんばかりに睨み付けると、自分の席に戻って行った。
「……すまなかった」
「別にいいよ。それより、後で色々聞きたいことがあるのだけど」
「わかった」
軽く黒栖と白羽は会話を交わすと、それぞれ席に戻る。
教室内はある意味、お祭り騒ぎが収まらない。
その後悉く、黒栖はクラスメイトたちに阻まれ、白羽と会話することができなかった。
今まで影の薄かった人物が、クラス一の美少女を手に入れたと、そう思われたのだから仕方がない。
黒栖の容姿は元々悪くはなく、更にはクラスカーストの頂点である旺斗が振られて事で、ある意味下剋上となり、黒栖に取り入ろうとする者が現れたのである。
しかし、黒栖にとってはたまったものではない。
クラス内順位など、どうでもいい事なのだ。
故に、放課後にはどうにか抜け出し、白羽と下校を共にしようとするが、旺斗のグループにぎりぎり入れなかった層が数人取り巻きとしてついて来る。
「俺は前から狭間はやるやつだって思ってたんだ!」
「ってゆーか、狭間君ってまじかっこよくね?」
「俺達は今日から友達だな!」
などと言って、黒栖が離れるように言ってものらりくらりと、通学路まで金魚の糞の如く付きまとって来たのだ。
横を歩く白羽も笑顔が引きずっている。
「はぁ」
溜息を吐きつつ、いい加減に鬱陶しいと思った黒栖は、少し強引にでも追い払おうかと考え始めた。
だが、そこで運悪く三人の男が道を塞ぐように現れる。
「お前が狭間とか言う奴だな。ちょっと面貸せよ」
「うおっ! 横の女超かわいいじゃん! お持ち帰りOK?」
「そりゃ、黙っていれば大丈夫だろ!」
白羽を見て下種な笑みを浮かべる男たちは、どうやら上級生のようで、いわゆる不良だ。
「お、俺ちょっと用事思い出した!」
「ってゆーか、うち本当は狭間より旺斗君の方が好みだったしー!」
「俺は関係ない! こいつといたのは偶然だ!」
そう言い残し、途端に掌を返したクラスメイトたちは、逃げるように去って行った。
「ははっ! お前人望ねえな!」
「爆笑もんだぜ!」
「つーことでさっさとついて来いよ」
不良の一人が黒栖に近づき、馴れ馴れしく肩を組もうとする。
しかし、そこで異変が起こった。
「――へ?」
不良の腕が宙を舞う。
「あぁああああああッ!! 腕がぁあ! 俺の、俺の腕――」
不良の一人があまりの苦痛にその場で転げまわる。
「お、おいっ!?」
「何が起きた! どうしたんだよ!」
「俺の腕がぁあ! 俺のうでぁあ!」
仲間に声をかけられるが、不良の一人は腕の痛みを訴えるばかりだった。次に黒栖の言葉で解放されるまでは。
「よく見ろ、お前の腕は繋がっているぞ」
「……へ?」
腕を斬り飛ばされたと思っていた不良の一人は、玉のような汗を流しながらも、自身の右腕を見る。そこには何ともない、いつも通りの腕が有った。
「お前! こいつに何をした!」
「もうこの場で絞めちまうか!」
仲間の不良二人がそう言うと、先ほどまで転げまわっていたもう一人が、慌てて止めに入る。
「ま、待て! こいつはやばい! 関わっちゃいけない奴だったんだ! 俺はもう関係ないからな!」
不良の一人は震えながら言い放ち、仲間を残して脱兎のごとく逃げだす。
「お、おいっ!」
「くそっ! 覚えてろよ!」
その鬼気迫るものを感じ取ったのか、捨て台詞を吐き、残る二人は先に逃げ出した一人を追いかけて行った。
「……いったい何が?」
「さあな」
ようやく言葉を発した白羽だが、元より心配はしていない。デスハザードを退けた黒栖を、例え不良が複数人いたとしても、相手にならないだろうとどこかで理解していたからだ。
それに対し、黒栖も何もなかったかのようにそう返事をした。
実際には、濃厚な殺気をぶつけていた訳だが。不良程度であれば、それに抗う術は無い。仮に黒栖が殺そうと本気で思ったならば、あの不良は殺気だけで死んでいただろう。
「やっと二人になれたし、狭間君、誰も邪魔が入らないところに行こっか」
「……そうだな」
一日でやけに疲労が溜まったと、黒栖は思いつつ、これから大事な話をしなければならないと思い、気を引き締める。
そして、気がつけば二人は、黒栖の住むアパートに辿り着いた。
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