008 ドツボにはまる

 とあるビルの屋上に、黒栖はいた。
 日はとうに過ぎ、今は翌日の昼過ぎだ。

 何故このような場所にいるのか、黒栖もよくは理解していない。あえて言えば、心にぽっかりと穴が空いたようであり、それを紛らわすため、どこか高いところで風にあたりたかったのかもしれない。

 気がつけば今こうして、見知らぬビルの屋上のふちに、一人腰かけているのだ。

 そして、もちろん事、白羽の監視も怠ってはいない。
 学校は至って平和であり、問題は特に無かったのだが、黒栖がいない事で旺斗おうとが勝ち誇ったようにしていたことが、唯一黒栖は気に喰わなかった。
 しかし、案の定白羽にはあしらわれていたので、そこは良かったと言える。

「――って! だ――か!」
「ん?」

 すると、なにやら少女のような声が、黒栖の耳に届く、その声のする方向に、ふと屋上の縁から下の路地裏に視線を移すと、そこには三人の男が一人の少女に迫っているようだった。

 助けるべきかどうか、黒栖は思考する。
 現在白羽は安全なようで、問題は無い。しかし、少女を助けるという事は、白羽から目を離すという事である。

「――や!」

 思考している間に、男の一人が少女に右腕を掴んでいた。

「はぁ」

 黒栖は溜息を吐くと、考えている余裕は無いと思い、左目だけ白羽の監視を維持しつつ、少女を助けに行くことにした。
 無論、左右違う映像を見ていても問題なく行動できるようにする為に、余分に覚醒エネルギーを消費しているのは言うまでもない。

「離しなさいよ! 誰か助けて!」
「黙れ! 俺らを散々利用しやがって!」
「そうだ! 俺らはお前のボディーガードでも、財布でもないんだぞ!」
「その身体に思い知らせてやる!」

 どうやら少女にも問題があるようだった。しかし、だからと言って強姦をしてもいいという正統性は、当然あるはずがない。
 黒栖は、面倒くさいのに遭遇したと思いつつも、行動する。

「まずはその服ひん剥い――」
「最初からこうして――」
「あ? お前らどうし――」

 男三人は、黒栖から繰り出された手刀を首筋に受け、そのまま崩れ落ちるようにして倒れた。
 まるで漫画のようであるが、手刀でいままで様々な相手を倒してきたこともあり、黒栖にはこれくらい容易な事だ。

「え? ……うそでしょ?」

 少女は突然のことにキョトンとしていた。
 それを見て無事を確認すると、黒栖はきびすを返して歩き出す。流石に、視線がある中で転移する気は無かった。

「ちょっ! ちょっと待ちなさいよ! そこは可愛いお嬢さん、大丈夫でしたか? って声をかけるところでしょ!!」
「あ?」

 引き留められても無視する気だった黒栖だが、少女の台詞が突拍子もなかったため、黒栖は思わず返事をしてしまう。

「この私を助けたのよ! 恩に着せてデートくらい誘いなさいよ!」

 そう言って近づいて来る少女に視線を移すと、確かに自意識過剰な事を言うだけの事はあり、少女の見た目は優れている。

 金髪に染めた長いツインテールに、凹凸の少ないしなやかな低身長気味の体つき。そして、小悪魔的な雰囲気と、アイドル事務所に余裕で入れそうな容姿をした可憐な少女は、その筋の人からすればたまらないだろう。

 しかし、黒栖が相手では意味がなかった。
 黒栖には文字通り、左目に映る白羽しか見えていないのだ。
 つまり、目の前の少女には興味が無かった。

「別にそういう意味で助けた訳じゃない。気にするな」
「私が気にするのよ! ってちょっと待ちなさいってば!」

 少女はそう喚き散らしながら、黒栖の前に回り込んできた。

「あら? あんた思っていたよりイケメンじゃない!」
「は?」

 すると、黒栖の見た目が思ったより良かったのか、少女が何やら胸の前で握りこぶしをする。

「あんた名前は? 私は貴島姫紀きじまひめきよ」
「貴島……?」

 貴島姫紀という名前を聞いて、黒栖はクラスメイトの貴島旺斗おうとを思い出す。

「何? もしかしてうちのゲロ兄を知っているの?」
「ゲロ兄?」

 何やら忌々しそうにゲロ兄と呼ぶ姫紀に、黒栖は、少し考え込む、そして、旺斗→嘔吐→ゲロ兄なのだろうと理解した。

「何か文句あるっていうの?」
「いや、別にない」
「あっそ、ってそれよりも名前よ! あんたの名前教えてよ!」
「……狭間黒栖だ」

 黒栖は不承不承ふしょうぶしょうにそう答える。旺斗の妹という事は、ここで名乗らず去ったとしても、旺斗経由でいずれ名前を知られてしまうだろう。
 更に、この状況ですら面倒だというのに、その事で何か余計な事が増えるかもしれないと、黒栖はそう思ったのだ。

「ふーん。狭間黒栖ね……へ? 狭間黒栖? ってあんたのせいじゃない!」
「何をするッ!?」

 突然豹変ひょうへんした姫紀が黒栖に飛びかかる。その繰り出される右拳を黒栖は難なく受け止めた。すると、続いて左拳も迫ってくるが、同様に黒栖は受け止める。

「私がキモオタ共に襲われたのはあんたが原因よ! 責任とりなさい!」
「はぁ? 意味が分からない。俺が何をしたというんだ」

 黒栖は困惑しつつも、そう尋ねた。すると、姫紀は両目を鋭くさせながらも、説明し出す。

「昨日ゲロ兄があんたにいらついて、私に当たり散らしてきたんだから! しかも、楽しみにとって置いたプリンも食べられたのよ! それでちょっとキモオタ共にいつもより貢がせようとしたら、襲われたのよ! つまりあんたのせい!」
「それって自業自得じゃないのか?」

 どう考えてもそうだろうと、黒栖は思う。
 流石兄妹、思考が似ている。

「う、うるさいっ! とにかく責任取りなさいよ!」
「なんだ? プリンでも買えばいいのか?」
「そ、そうよ! まずはプリンを貢ぎなさい!」

 まじかこいつ、と黒栖は溜息を吐きたくなる。脳裏にツンデレという単語が浮かぶが、実際のツンデレ、目の前のそれはツンしかないが、正直うざったいだけだと黒栖は思ってしまう。

「絶対に逃がさないんだからッ! もし逃げたらゲロ兄にあることないこと言いふらすわよ!」
「……わかった」

 黒栖は助けた事を後悔した。
 無視してもいいのかもしれないが、旺斗に虚実きょじつだとしても、弱みを握られるのをよしとしない。
 それを口実に、旺斗が白羽に迫ろうものなら、黒栖は胸の奥から何かが込み上がるだろう。

 故に仕方なく、黒栖はプリンを貢ぐことにした。ドツボにはまるとは正にこの事だが、この状況をどうにかして抜け出すために、黒栖は思考し始める。

「よろしい! なら早速行くわよ!」
「お、おい!」

 が、思いつく前に姫紀に腕を取られ、中断させられた。


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