009 愚かなる閃き

 おしゃれなカフェに、黒栖くろす姫紀ひめきは向かい合わせで座っていた。
 姫紀はホイップクリームに、様々なフルーツが盛り合わせてあるコーヒーゼリーを、幸せそうに頬張っている。

 そう、プリンではなく、コーヒーゼリーだ。このカフェの前を通りかかった時、急に姫紀が要望を変更したため、こうしてこの場所にいるのである。
 更に、姫紀はパンケーキと、砂糖をたっぷりと入れたミルクティーを追加注文するという図々しさまで発揮していた。
 それに対して、黒栖はコーヒーを一杯だけだ。

「なによ? いいじゃないこれくらい。けちくさいわよ」
「……そうか」

 黒栖が思ったのはそういう事ではなく、そんなに甘いものを一度に摂取しても大丈夫なのかと、そう思っただけだ。
 しかし、姫紀にはそうは見えなかったらしい。

「はは~ん。わかったわ、一口欲しいんでしょ? いいわよ。特別にあ~んしてあげても」
「は? 何を言っているんだお前?」
「むむぅっ!」

 思わず黒栖は呆れたように言葉を吐くと、それが伝わったのか、姫紀が何故か悔しそうに唸り始める。

 そして、その後会計になると、当然黒栖が出す事となったのだが、問題は黒栖の財布だ。高校生らしい黒い無地の折り畳みのそれに、一万円札が何枚も入っているのである。

「う、うそぉ……」

 それを横から盗み見ていた姫紀は、間の抜けた声でそう呟いていた。

「あ、あんたお金持ちだったのね!」
「さあな」

 カフェを出てから車道側を歩く黒栖に、姫紀はそう言って詰め寄る。その瞳が¥マークになっているのを、黒栖は幻視した。

「先にそうと言ってくれれば、もっとサービスしてあげたのに!」

 そう言って距離が益々狭まってくる。

「はぁ、もうおごってやったんだから帰ってくれ」
「なっ、なによさっきからその態度! せっかく私が構ってあげているのに! もっと私を見なさ――ふぇえ!?」

 その瞬間、姫紀が黒栖の胸に引き寄せられた。

「ッチ」

 すると、正面から歩いて来た若い男が舌打ちをする。そう、この若い男は、わざと姫紀にぶつかろうとしたのだ。
 しかし、それを姫紀は知らない。黒栖の顔を少しの間、ほうけながら眺めていた。

「――って、いつまで抱き着いているのよ! わ、私がいくら魅力的だからって、さ、サービスするって言ったけど……こ、これは責任を取ってもらうからっ! もっと私に貢ぎなさいよ!」
「いや、人とぶつかりそうになっていた――」
「言い訳なんて聞かない! 聞かないもんっ!」
「聞かないもんって……」

 焦ったようにそう言って、混乱したかのように両目を渦巻いている姫紀は、離すものかと黒栖の腕に引きついた。
 それに対して黒栖は、若干ドン引きしている。どうしたものかと考えると、あることを閃く。金銭が欲しいようだし、丁度いいと黒栖は思った。金銭に関しては、幸いにも豊富だ。

「なあ、頼みたいことがあるんだが、もし聞いてくれるならそれなりの金額を払ってもいい」
「え? ……も、もしかして、いやらしい事をする気じゃないでしょうね! そ、それはだめよ!」
「そんな事はしないと約束する」
「そ、そんな事……? な、なによ! 私に魅力がないっていうの! ふんっ! いいわ、やってやろうじゃない! あとから後悔しても知らないんだから!」
「……助かる」

 こいつは何を言っているんだろうかと思いつつも、引き受けてくれるという事なので、黒栖は口に出さずに黙っていることにした。
 それと同時に、こんな事ではいつか騙されるのではないかと、姫紀を見て黒栖は、多少心配になりつつも、今は気にしない事にする。

「じゃあついて来てくれ」
「……わかったわ」

 そうして、黒栖と姫紀はその場から移動し始めた。

 ◆

「あ、あんたやっぱりいやらしい事する気じゃないの! 私をこんな場所に連れてきて、ど、どうする気なのよ!」
「どうもしないから落ち着け」

 現在二人は、黒栖の自宅にいた。
 何故このような場所に来たのかといえば、白羽と鉢合わせする為である。

 黒栖は白羽から嫌われることで、彼女ヒロインという立場からどうにかして外す事ができないかと、そう考えていた。
 混迷こんめいしているのか、これが正しいのだと、黒栖は愚かにもそう信じている。

 仮にそれが無意味だとしても、黒栖は今まで通り白羽を見守るつもりなのだ。
 自分といない方が、白羽が幸せになれると、黒栖は本気で思っている。

「な、なによ! 私に襲う価値が無いって言うの!」
「待て、落ち着いてくれと言っているだろう。残り時間が少ないんだ。どうか話を聞いてくれ。こっちは真剣なんだ」
「むぅ……わかったわよ。話しなさいよ」

 なんとか姫紀を落ち着かせることに成功した黒栖は、これから起こる出来事を説明し出す。

「これからここにとある女が来る。その女に嫌われるために、どうか協力をしてくれ」
「なによそれ、あんた元カノかストーカーにでも追われてるの?」
「……まあそんなところだ」

 そう説明する黒栖は、自分の言葉に罪悪感で押し潰れそうになっていた。
 しかし、必要な事なのだと、心の中で自分にそう言い聞かせる。

「わかったわ。その女が来たら、あんたといちゃつけばいいんでしょ」
「……ああ、頼む」
「ふんっ、任せなさい!」

 黒栖に頼られた事が以外にも嬉しかったのか、姫紀は無い胸を堂々と張った。

 そうして、後は白羽を待つのみだが、黒栖はどうしようもない感情に、自分の胸が締め付けられている事に気がつく。

 愚かでクズだと自分をののしりながらも、それが最善だと、何度も何度も繰り返し自分に言い聞かせる。

 視界を飛ばした左目から、見える先にいる白羽。学校で受け取ったプリントを、わざわざ黒栖の自宅まで届けようとしている。

 その手には、昨日この部屋で拾ったのか、黒栖の自宅の鍵を大事そうに見つめ、無くさないようにするために、デフォルメされた黒猫のキーホルダーがいつの間にかされていた。
 そのカギを眺めては、幸せそうに微笑む白羽に、黒栖は益々胸が引き裂かれそうになる。

 そして、その時は来てしまった。

 白羽が黒栖の自宅のドアに、鍵を差し込む。
 鍵のかかっていないドアに、白羽が違和感を覚えたのかと思えば、黒栖がいると判断し、自然と笑みを浮かべた。

「来たぞ」
「な、何するのよ!?」

 そこで黒栖は飛ばしていた視界を戻し、姫紀にそう声をかけると、その身体を抱き寄せる。

 その瞬間、黒栖の自宅のドアは開かれた。

「――えっ」

 抱き合う黒栖と姫紀を目の当たりにした白羽は、硬直し、その瞬間言葉を失った。


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