010 迫られる選択

「……」
「……」

 黒栖は咄嗟とっさの行動だったとはいえ、姫紀を抱き寄せた。その事に後悔はない。
 しかし、今までに感じた事の無い、取り返しのつかない感情に襲われ、言葉を出すことができなかった。

 白羽もあまりの出来事に、黙り込んでしまう。その場は、静寂となる……と思われたが、一石を投じる者がいた。そう、姫紀である。

「あんたが黒栖・・の元カノ? ストーカーとかまじありえないんだけど。今はもう私が恋人だから、あんたは私の・・黒栖に近づかないでくれないかしら」
「え? 何を言って……どういうこと?」

 白羽は状況を理解できない。黒栖の事は大切な存在へとなりつつあるが、まだ恋人関係までは至ってはいなかった。更に、自宅の鍵を手にし、こうしてプリントを届けに来た訳だが、ストーカーと呼ばれる程の事はしていないと思っている。
 ただ一つ、いや二つそれ以上に白羽が気にしたのは、見知らぬ少女が黒栖の事を名前呼びして、あまつさえ自分のものと言った事だった。

「頭悪いわね。こういうことよ!」
「お、おい」
「――!?」

 その瞬間、姫紀は黒栖を強く抱き返すと、愛おしそうにその背中を撫でる。
 黒栖は驚き、白羽は。

「だ、だめーーッ!」
「な、何するのよ!」

 二人に割って入った。

「それは私の役目なの! 何も知らないあなたが気軽にしていいことじゃない!」
「な、何よストーカーの分際で!」

 白羽にとって、黒栖を抱きしめるという行為は、とても大切な事だ。お互いを理解しあったとても神聖なもの。それを見ず知らずの他人に奪われることだけは、我慢ならなかった。

 対して姫紀は、その言葉に激怒する。過去にすがりつく、重いストーカー女だと、そう判断した。しかし、一番の怒りの原因は、ドキドキしながら勇気を出して抱きついたのにもかかわらず、それを邪魔されたことが大きい。

 そして黒栖といえば、目の前の火花散る光景に、この自らが引き起こした状況、女同士の争いに対し、若干だが戦慄せんりつして、言葉を挟むことができないでいる。

「私は、狭間君、いえ黒栖・・君の事を信じている。だから分かるの。これもきっと理由があるんだって。あなたは黒栖君の寄り付く悪い虫。恋人関係だってあなたが迫っているだけに決まっているわ!」

 勢いでそう言った黒栖に対する盲信的な考えは、少々病んでいるような、後ろ暗さが芽生え始めていた。その事に、白羽自身はおろか、このような状況故か、黒栖と姫紀も気がつかない。

「そ、そんなことないわよ! 黒栖と私はラブラブなんだから! さ、さっきだって一緒にカフェでデートしたし、路上で突然抱きしめられたわ! そ、それに、あんたが来なければ、え、エッチなこともする予定だったんだからっ!!」
「……」
「う、嘘だよね?」

 姫紀も負けるかと言わんばかりに、勢い任せにとんでもないことを口走る。前半は嘘が無かっただけに、それが無言でいた黒栖の顔に出ていたのか、白羽は驚愕きょうがくしつつ数歩下がる。

 それを見て、姫紀は勝ったと感じたようだった。年上の黒髪美少女から、仕組まれていたとはいえ、自分好みの男を勝ち取ったという高揚。本能的にそれを逃さない為、姫紀が追撃の一手を繰り出す。

「み、見なさい! これが証拠よ! んっ――」
「!?」

 姫紀が黒栖に近づくと、首に両手をまわし、その小さな身長を届かせるため、背伸びをしたかと思えば、その瞳をうるませて黒栖に口づけをした。

「――っ」

 その瞬間、白羽は涙を浮かべ、逃げるようにその場を後にする。

「し、白羽!」

 黒栖は思わずそう声に出してしまった。先ほどまで感情を押し殺すのがやっとであったが、白羽の涙を見て、追いかけようと足が動く。
 しかし、そこで黒栖の腕を掴んで引き留める者がいた。

「ま、待ちなさいよ」

 当然それは、姫紀だ。
 潤んだ瞳で黒栖を見つめるそれは、どこにもいかないでほしいという感情がにじみ出ていた。

 出会いからここまで、強烈な出来事の繰り返しだ。助けられ、デートし、抱き寄せられ、他の女に勝利する。
 姫紀は、そこに今までない、運命的なものまで感じ始めていた。
 それと同時に、ここで逃してしまえば、もう二度とそれがない事を、心のどこかで理解してしまっている。
 だからこそ、黒栖にはこの場所に残ってほしいのだ。

 故に、黒栖は選択を迫られる。

 1.白羽を追い、姫紀の想いを踏みにじる。
 2.姫紀の元に留まり、白羽と通じ合った想いを、ないがしろにする。

 そう、どちらにしても、不幸になる者が生まれる。
 黒栖の軽率な行動が、この結果を招いた。

 他人の不幸を招く存在。
 異世界で人を不幸にし、並行世界でも人を不幸にした。そして、自らの世界でも、今まさに人を不幸にする。

 黒栖は、どうして自分はそうなのだと、自己嫌悪しそうになるが、そんな事を考えている時間は無い。
 選択しなければならないのだ。

 白羽をとるか、姫紀をとるかという現実を。
 そして、刹那せつなの間に導き出された答えを、黒栖は実行した。

「すまない」
「えっ……」

 黒栖は、そう姫紀に言い残すと、白羽の後を追ってその場を去るのだった。


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