001 巻き込まれた者

 寝て、起きて、ダンジョンに行って、寝て、起きて……変わり映えのしない、いや、死んでしまえばそれまでの毎日を俺、天動御影てんどうみかげは過ごしていた。

 この世界にダンジョンが発生して約百年、世界は疲弊してくたびれている。

 モンスター大氾濫の五十年、世界の主導国の座を争う二十五年、そして復興の二十五年。

 親無し孤児院育ちの俺が、中卒後院を出て命がけの毎日を送らなければならない。当然高校など行けるわけがなかった。世の中は孤児が溢れている。国にそんな余裕はない。

「はぁ……」

 俺は暗い将来に溜息をつきながら、国の数少ない援助によって住んでいる格安アパートから出る。

 時刻は早朝五時。僅かに太陽が顔を出し始める頃だ。手には愛用の木刀を握り、アパートの裏手にある森に足を進める。

 ダンジョンに入り探索者になった日から、俺はこうして一人素振りをするのが日課となっていた。

 木刀を振っている時だけは、心を無にしてあらゆるものから解放される。

 何者にも邪魔されない憩いの時間。今日も、そのはずだった。

「え?」

 突然、鳩尾みぞおちに違和感を覚えたかと思えば、服の上から捻じれるように渦を巻き始めた。

「な、なんだこれ」

 思わず木刀を落とし鳩尾を両手で抑える。

 だが、捻じれは収まるどころか広がり、更にはその速度も加速し始めた。

「嘘……だろ……」

 状況を理解できなかったが、これだけは本能的に理解してしまう。

「俺……死」

 その言葉を吐き出す前に、俺はその捻じれに飲み込まれた。

 ◆

『皆様初めまして、私は異世界転生転移サポーター158946848245号です』

 それは唐突だった。真っ白で何もない世界に、それは浮いていた。球体だ。透明な白い球体が喋るのに合わせて、黄色の点灯をピカピカと放っている。

 更に、周囲には俺以外にも俺と年の近そうな少年少女、おそらく制服姿から高校生であろう集団がいた。

『これより、勇者召喚二十八名及び、勇者召喚に巻き込まれた者・・・・・・・一名を異世界へとご案内致します』

 その言葉を聞いて、巻き込まれたものというのは俺のことだろうと推測できた。他に大人が一名いるが、それは教師だろう。

 それにしても、なんだか心がやけに落ち着いているな。

 あり得ない現実に加え、先ほどの捻じれを体験したのにもかかわらず、俺の心は波一つない水面のようだった。

『初めにお断りさせていただきますが、元の世界へのご帰還は限りなく不可能であり、現状では諦めるようお願い致します』

 どうやら元の世界に帰るのは難しいようだ。そこまで元の世界に執着の無い俺は、すんなりと受け入れることができた。

 しかし、俺以外はそうではないようで、声を出さずとも、いや出してはいるがかき消されているのか、その仕草や表情から悲しむ様子がうかがえる。

『さて、本題ですが、異世界転移に向けて全員に異世界言語の理解及び、肉体の環境適応処置を施させていただきました。これにより、問題なく活動が行えることでしょう。それに加え、勇者召喚された者には勇者のスキル。巻き込まれた者には稀人のスキルが送られます。現地人よりも大いに活躍することが望めます』

 スキル? 称号・・スキルではなく? 俺はふとそんなことを思ったが、周りは別に気にしていないようだった。

『そして最後に、勇者召喚された者にはスキルを二つ、巻き込まれた者には一つ進呈致します。スキルはその者の適性や経験、その他にも様々な要因から自動で選ばれます。必ずしも質の高いスキルとは限りませんので、その点はご了承ください』

 なんか俺だけ不遇じゃないか? まぁ、これまでと同じか、裕福な奴らは優遇され、俺のような貧民は不遇な扱いを受ける。何も変わらない。

『では、皆様のご活躍を期待しております』

 最後まで淡々と事務的だった球体の言葉が終わると、再び俺の意識は途絶えた。

 ◆

 ――お前、犯罪者の息子なんだってな! お前なんて仲間じゃない!――
 ――私を騙していたの! 貧民の犯罪者は近寄らないで!――
 ――また厄介事か! 犯罪者の息子を施設で面倒見ているだけでもありがたいと思え!――

 違う。父さんと母さんは悪くない! お前らこそ仲間なんかじゃない! 敵だ! 俺をそんな目で見るな!

 ――御影、仲間は大切にしなさい。困っている人がいたら助けてあげるんだよ――
 ――御影、あなたは優しい子。きっと皆を守れる素敵な大人になるわ――

「――ッは!?」

 夢を見ていた。くだらない過去と、弱者が持ってはいけない甘い思想だ。

 くそ、嫌な夢を見た。それにここはどこだ? 確か素振りをしていたら鳩尾が捻じれて、気が付けば勇者召喚とかいうのに巻き込まれていたはず……そうか、ここは異世界か。

 軽く溜息を吐くと、その場で立ち上がる。周囲は若干薄暗く、星々が眩しいくらいに輝く森の中だった。

 おそらく、夜だよな? 称号スキルである探索者の暗視とはいえ、ここまで明るくはないはずだが。

 若干不思議に思いつつも、俺は自分の身なりや所持品を確認する。

 黒いシャツに茶色のズボン、同じく茶色のブーツ。所持品はアパートの鍵だけ。

 はぁ、軽く素振りしていただけだもんな。しかも木刀は無いし……来る前に落としたか?

 碌な所品もなく異世界に来てしまったことに溜息しか出なかった。

 せめて探索用の装備一式があれば……まぁ、無い物は仕方がないか。

 元々その日暮らしの日々だったこともあり、そこまで執着するようなものは持っていなかったことが幸いした。他にも、身内や友人などもいない孤独だったこともあるだろう。

 この世界にもダンジョンがあれば生きてはいけるか。最悪傭兵でも構わないが。

 俺は簡単に方針を決めると、とりあえあず森を抜けて人がいる場所を目指すことにした――その時。

「あ“ぁ“ぁ“ぁあああ!」

 濁ったような高音が森の奥から響いて近づいてくる。

「な!? 人か?」

 そして姿を表したのは、青いシスター服を身にまとった十代後半の少女。長い金髪と、光りを失った胡乱うろんな赤い瞳をしていた。その年齢にそぐわない豊かな双丘の中心には、おびただしい量の血痕があり、少女が普通ではないことを証明している。

 何だこいつは!? 普通じゃない。重傷者か? いや、遭遇したことは無いが、ダンジョンで現れるというゾンビの上位種かもしれない。

 俺は判断に迷った末、警告を発することにした。

「止まれ! 重傷者か? 重傷者であれば答えろ! でなければ、こちらも相応の対処をさせてもらう!」

 どうだ? 重傷者か? それとも……。

「あ“あ“ぁああ!!」
「くそっ! ゾンビか!」

 俺は後ろに飛んで距離を取ると、他にゾンビがいないか軽く周囲を見渡す。

 他にゾンビの影はない、こいつだけか。しかし、どうする? 武器は無いし、代わりになりそうな木の棒は近場にはない。くそ、木刀を落としたことが悔やまれるな。

 俺は苦虫を嚙み潰したような表情をしつつ、打開策を考える。

 剣士の称号を持つ俺は剣が無ければ碌に戦えない。手刀という最終手段はあるが、モンスター相手では分が悪い。ここは隙を見て逃げるしかないか。

 そう思った矢先だった。

「ぁぁぁああ“あ“!!」

 ゾンビ少女が想像を超えた速度で加速・・し飛び掛かってきた。

「なっ!? 嘘だろ!?」

 突然のことに対応することができず、俺はそのまま押し倒されてゾンビ少女に馬乗りにされる。

「ぁああ”あ“!!」

 状況に対応できず頭の中が真っ白になった。十五歳から探索者になったとはいえ、その期間はまだ約半年足らず。特殊な状況下には不慣れだった。

「くそっ! ぐあぁ!?」

 両手で抵抗しようとしたが、それをすり抜けてゾンビ少女に右肩を噛まれ痛みが走る。
「調子に、乗るな!」

 俺はゾンビ少女の両脇を掴むと、身体を捻るように回転させ、体制を入れ替える。運よくその時の勢いでゾンビ少女の口も離れるが、代わりに腰を両足でホールドされた。

「ああぁあ”あ“!!」

 再び噛まれないようにゾンビ少女の頭を抑えるが、ゾンビ少女が暴れて引っかき傷が顔や腕に増えていく。

 くそ、これじゃあどっちが襲われているのか分からないな。

 婦女子暴行の現場のようになっているが、実際襲われているのは俺だった。

 このままだと、何時まで経っても抜け出せない。今の俺にできる手段といえば……。

 先ほどよりも幾分か冷静さを取り戻した頭で思考したことで、いくつか打開策を思いつく。

 よし、まずは手始めに一番被害の少ない方法からだ。

 俺は片手をゾンビ少女に向けると、探索者スキルの一つである飲水を最大出力・・・で発動させた。

「なっ!?」

 通常手の平から少量出る程度のそれは、ジェット噴射の如く吹き荒れる。その勢いはゾンビ少女のホールドを引き剝がすと同時に、俺を後方へと飛ばす。そして荒れ狂うホースの先端の如く、俺は地面を何度か引きずられたところで飲水を解除した。

 な、何だこの威力は!? 最大出力だとしても、ここまで馬鹿げた威力ではなかったはずだぞ!

「あぁ……あぁあ“!」

 俺がその威力に驚いている間にも、ゾンビ少女がゆっくりと立ち上がる。

 まずい、このままだと先ほどの二の舞だ。

 飛び掛かられた時の速度は普通ではなかったことを思い出し、俺は次の手を打つことにした。

 これなら、俺が吹き飛ぶことはあまりない。

 近くにあった木に背中を合わせて片膝をついてしゃがむと、突き出した右手に左手を添える。狙いはゾンビ少女だ。

「くらえ!」

 渾身の掛け声と共に、飲水を発動する。その威力は先ほどと同様に荒れ狂う龍の如きものだった。

「ぁああ”あ”!?」

 ゾンビ少女はその奔流に飲み込まれ、木へと強く叩きつけられる。しばらくして、俺は飲水を解除した。

 か、勝ったのか?

 ピクリとも動かなくなったゾンビ少女を確認すると、ようやく身の危険から解放される。

 ひとまずこの場から離れよう。またいつ起き上がるのか分かったものじゃない。

 そう思った矢先だった。

「え?」

≪ゾンビシスター『エレティア・レイマーズ』に支配契約を実行致しますか?≫

 そんな内容が、脳内に浮かび上がってきた。


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