寝て、起きて、ダンジョンに行って、寝て、起きて……変わり映えのしない、いや、死んでしまえばそれまでの毎日を俺、天動御影は過ごしていた。
この世界にダンジョンが発生して約百年、世界は疲弊してくたびれている。
モンスター大氾濫の五十年、世界の主導国の座を争う二十五年、そして復興の二十五年。
親無し孤児院育ちの俺が、中卒後院を出て命がけの毎日を送らなければならない。当然高校など行けるわけがなかった。世の中は孤児が溢れている。国にそんな余裕はない。
「はぁ……」
俺は暗い将来に溜息をつきながら、国の数少ない援助によって住んでいる格安アパートから出る。
時刻は早朝五時。僅かに太陽が顔を出し始める頃だ。手には愛用の木刀を握り、アパートの裏手にある森に足を進める。
ダンジョンに入り探索者になった日から、俺はこうして一人素振りをするのが日課となっていた。
木刀を振っている時だけは、心を無にしてあらゆるものから解放される。
何者にも邪魔されない憩いの時間。今日も、そのはずだった。
「え?」
突然、鳩尾に違和感を覚えたかと思えば、服の上から捻じれるように渦を巻き始めた。
「な、なんだこれ」
思わず木刀を落とし鳩尾を両手で抑える。
だが、捻じれは収まるどころか広がり、更にはその速度も加速し始めた。
「嘘……だろ……」
状況を理解できなかったが、これだけは本能的に理解してしまう。
「俺……死」
その言葉を吐き出す前に、俺はその捻じれに飲み込まれた。
◆
『皆様初めまして、私は異世界転生転移サポーター158946848245号です』
それは唐突だった。真っ白で何もない世界に、それは浮いていた。球体だ。透明な白い球体が喋るのに合わせて、黄色の点灯をピカピカと放っている。
更に、周囲には俺以外にも俺と年の近そうな少年少女、おそらく制服姿から高校生であろう集団がいた。
『これより、勇者召喚二十八名及び、勇者召喚に巻き込まれた者一名を異世界へとご案内致します』
その言葉を聞いて、巻き込まれたものというのは俺のことだろうと推測できた。他に大人が一名いるが、それは教師だろう。
それにしても、なんだか心がやけに落ち着いているな。
あり得ない現実に加え、先ほどの捻じれを体験したのにもかかわらず、俺の心は波一つない水面のようだった。
『初めにお断りさせていただきますが、元の世界へのご帰還は限りなく不可能であり、現状では諦めるようお願い致します』
どうやら元の世界に帰るのは難しいようだ。そこまで元の世界に執着の無い俺は、すんなりと受け入れることができた。
しかし、俺以外はそうではないようで、声を出さずとも、いや出してはいるがかき消されているのか、その仕草や表情から悲しむ様子がうかがえる。
『さて、本題ですが、異世界転移に向けて全員に異世界言語の理解及び、肉体の環境適応処置を施させていただきました。これにより、問題なく活動が行えることでしょう。それに加え、勇者召喚された者には勇者のスキル。巻き込まれた者には稀人のスキルが送られます。現地人よりも大いに活躍することが望めます』
スキル? 称号スキルではなく? 俺はふとそんなことを思ったが、周りは別に気にしていないようだった。
『そして最後に、勇者召喚された者にはスキルを二つ、巻き込まれた者には一つ進呈致します。スキルはその者の適性や経験、その他にも様々な要因から自動で選ばれます。必ずしも質の高いスキルとは限りませんので、その点はご了承ください』
なんか俺だけ不遇じゃないか? まぁ、これまでと同じか、裕福な奴らは優遇され、俺のような貧民は不遇な扱いを受ける。何も変わらない。
『では、皆様のご活躍を期待しております』
最後まで淡々と事務的だった球体の言葉が終わると、再び俺の意識は途絶えた。
◆
――お前、犯罪者の息子なんだってな! お前なんて仲間じゃない!――
――私を騙していたの! 貧民の犯罪者は近寄らないで!――
――また厄介事か! 犯罪者の息子を施設で面倒見ているだけでもありがたいと思え!――
違う。父さんと母さんは悪くない! お前らこそ仲間なんかじゃない! 敵だ! 俺をそんな目で見るな!
――御影、仲間は大切にしなさい。困っている人がいたら助けてあげるんだよ――
――御影、あなたは優しい子。きっと皆を守れる素敵な大人になるわ――
「――ッは!?」
夢を見ていた。くだらない過去と、弱者が持ってはいけない甘い思想だ。
くそ、嫌な夢を見た。それにここはどこだ? 確か素振りをしていたら鳩尾が捻じれて、気が付けば勇者召喚とかいうのに巻き込まれていたはず……そうか、ここは異世界か。
軽く溜息を吐くと、その場で立ち上がる。周囲は若干薄暗く、星々が眩しいくらいに輝く森の中だった。
おそらく、夜だよな? 称号スキルである探索者の暗視とはいえ、ここまで明るくはないはずだが。
若干不思議に思いつつも、俺は自分の身なりや所持品を確認する。
黒いシャツに茶色のズボン、同じく茶色のブーツ。所持品はアパートの鍵だけ。
はぁ、軽く素振りしていただけだもんな。しかも木刀は無いし……来る前に落としたか?
碌な所品もなく異世界に来てしまったことに溜息しか出なかった。
せめて探索用の装備一式があれば……まぁ、無い物は仕方がないか。
元々その日暮らしの日々だったこともあり、そこまで執着するようなものは持っていなかったことが幸いした。他にも、身内や友人などもいない孤独だったこともあるだろう。
この世界にもダンジョンがあれば生きてはいけるか。最悪傭兵でも構わないが。
俺は簡単に方針を決めると、とりあえあず森を抜けて人がいる場所を目指すことにした――その時。
「あ“ぁ“ぁ“ぁあああ!」
濁ったような高音が森の奥から響いて近づいてくる。
「な!? 人か?」
そして姿を表したのは、青いシスター服を身にまとった十代後半の少女。長い金髪と、光りを失った胡乱な赤い瞳をしていた。その年齢にそぐわない豊かな双丘の中心には、おびただしい量の血痕があり、少女が普通ではないことを証明している。
何だこいつは!? 普通じゃない。重傷者か? いや、遭遇したことは無いが、ダンジョンで現れるというゾンビの上位種かもしれない。
俺は判断に迷った末、警告を発することにした。
「止まれ! 重傷者か? 重傷者であれば答えろ! でなければ、こちらも相応の対処をさせてもらう!」
どうだ? 重傷者か? それとも……。
「あ“あ“ぁああ!!」
「くそっ! ゾンビか!」
俺は後ろに飛んで距離を取ると、他にゾンビがいないか軽く周囲を見渡す。
他にゾンビの影はない、こいつだけか。しかし、どうする? 武器は無いし、代わりになりそうな木の棒は近場にはない。くそ、木刀を落としたことが悔やまれるな。
俺は苦虫を嚙み潰したような表情をしつつ、打開策を考える。
剣士の称号を持つ俺は剣が無ければ碌に戦えない。手刀という最終手段はあるが、モンスター相手では分が悪い。ここは隙を見て逃げるしかないか。
そう思った矢先だった。
「ぁぁぁああ“あ“!!」
ゾンビ少女が想像を超えた速度で加速し飛び掛かってきた。
「なっ!? 嘘だろ!?」
突然のことに対応することができず、俺はそのまま押し倒されてゾンビ少女に馬乗りにされる。
「ぁああ”あ“!!」
状況に対応できず頭の中が真っ白になった。十五歳から探索者になったとはいえ、その期間はまだ約半年足らず。特殊な状況下には不慣れだった。
「くそっ! ぐあぁ!?」
両手で抵抗しようとしたが、それをすり抜けてゾンビ少女に右肩を噛まれ痛みが走る。
「調子に、乗るな!」
俺はゾンビ少女の両脇を掴むと、身体を捻るように回転させ、体制を入れ替える。運よくその時の勢いでゾンビ少女の口も離れるが、代わりに腰を両足でホールドされた。
「ああぁあ”あ“!!」
再び噛まれないようにゾンビ少女の頭を抑えるが、ゾンビ少女が暴れて引っかき傷が顔や腕に増えていく。
くそ、これじゃあどっちが襲われているのか分からないな。
婦女子暴行の現場のようになっているが、実際襲われているのは俺だった。
このままだと、何時まで経っても抜け出せない。今の俺にできる手段といえば……。
先ほどよりも幾分か冷静さを取り戻した頭で思考したことで、いくつか打開策を思いつく。
よし、まずは手始めに一番被害の少ない方法からだ。
俺は片手をゾンビ少女に向けると、探索者スキルの一つである飲水を最大出力で発動させた。
「なっ!?」
通常手の平から少量出る程度のそれは、ジェット噴射の如く吹き荒れる。その勢いはゾンビ少女のホールドを引き剝がすと同時に、俺を後方へと飛ばす。そして荒れ狂うホースの先端の如く、俺は地面を何度か引きずられたところで飲水を解除した。
な、何だこの威力は!? 最大出力だとしても、ここまで馬鹿げた威力ではなかったはずだぞ!
「あぁ……あぁあ“!」
俺がその威力に驚いている間にも、ゾンビ少女がゆっくりと立ち上がる。
まずい、このままだと先ほどの二の舞だ。
飛び掛かられた時の速度は普通ではなかったことを思い出し、俺は次の手を打つことにした。
これなら、俺が吹き飛ぶことはあまりない。
近くにあった木に背中を合わせて片膝をついてしゃがむと、突き出した右手に左手を添える。狙いはゾンビ少女だ。
「くらえ!」
渾身の掛け声と共に、飲水を発動する。その威力は先ほどと同様に荒れ狂う龍の如きものだった。
「ぁああ”あ”!?」
ゾンビ少女はその奔流に飲み込まれ、木へと強く叩きつけられる。しばらくして、俺は飲水を解除した。
か、勝ったのか?
ピクリとも動かなくなったゾンビ少女を確認すると、ようやく身の危険から解放される。
ひとまずこの場から離れよう。またいつ起き上がるのか分かったものじゃない。
そう思った矢先だった。
「え?」
≪ゾンビシスター『エレティア・レイマーズ』に支配契約を実行致しますか?≫
そんな内容が、脳内に浮かび上がってきた。
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