010 団地エリア

 来る時は、団地の裏にある茂みの中を隠れて通ってきた。

 だが今は背中に瑠理香ちゃんがいる。

 当然、茂みの中を移動することは不可能だ。

「瑠理香ちゃん、そろそろ歩けそうか?」
「す、すみません。まだ無理そうです」

 瑠理香ちゃんはそう言って申し訳なさそうにする。

 仕方がないか。無理をさせるわけにもいかない。

 団地の裏をそのまま突っ切るか?

 いや、またベランダに人がいる可能性がある。

 このまま団地の前を突っ切るのが正解か?

 俺は頭を悩ます。

 前方を見れば、人の影は無い。

 今なら、団地の前を走り抜けることもできそうだった。

 どのみち、このまま時間をかけてしまうのは下策だ。

 行くしかない。

「ちょっと揺れるけど、我慢してくれ」
「は、はい」
「行くよ」

 俺は瑠理香ちゃんに一言断りを入れると、その場から駆けだした。

 団地の前に人はいない。

 窓から覗いている人物も皆無だ。

 あとは階段から人が出てこないことを祈るだけ。

 よし、行ける。

 そう思った時だった。

「あらら? ようやく戻ってきたのね? お姉ちゃん、待っていたのよ?」
「なっ!?」

 まるでタイミングを計ったかのように、一人の女性が現れる。

 黒髪ロングで、泣き黒子が特徴的な大学生くらいの女性。

 それは、団地裏で俺に声をかけてきたあの女性だった。

「かくれんぼはもう終わったの? あら? 可愛い妹ちゃんもいるのね? そうだ。三人で一緒にお風呂に入りましょ? かくれんぼで汚れているでしょ?」

 そう言って近づいてくる女性。

 これはまずい。

「ま、待ってください。妹は体調が優れないんです。だから、今から家に帰らないといけなくて、とてもではないけど、そちらにお邪魔してできそうにないんです。すみません」

 俺は、どうにか逃れるために言い訳を並べる。

 これで見逃してくれればいいが。

 すると女性はにこりと微笑む。

 よかった。どうやら通じたようだ。

 俺がそう安心した時。

「それじゃあ、家で休んでいくといいわ。お布団もあるし、大丈夫よ? そうだ。弟くんも一緒に寝ましょう? 私も添い寝してあげるから。ね?」

 駄目だった。

 むしろ状況は悪化してしまう。

 このままでは、無理やりにでも連れ去られそうだった。

 走って逃げるにしても、追いつかれるかもしれない。

 瑠理香ちゃんだけを逃がすにしても、一人ではまだ歩けそうになさそうだ。

 本当にヤバい。

「いえ、いつも使っている枕じゃないと寝れないので」
「じゃあ、私の膝枕なら眠れるわよね? 弟くんは私の膝枕大好きだもの」
「実は今日寝すぎて、全く眠くなくて……」
「横になるだけでいいわ」
「他に先約があって、急がないと!」
「お姉ちゃんとも約束してたわ」

 暖簾のれんに腕押し状態だった。

 何を言っても、聞いてくれそうにない。

 一度目は簡単に聞いてくれたのに、二度目は駄目なのか?

 まだ少女もそうだが、この女性がどういった行動原理で動いているのかを知らない。
 
 何かルールがあるのかもしれないが、現状どうしようもなかった。

 そして、女性が俺に手を伸ばしてくる。

「それじゃあ、一緒に行きましょう?」

 ここまでか――。

 俺が諦めたその瞬間だった。

「待ちな。そいつは俺様の連れだ」
「あら?」
「え?」

 声のする方へと視線を移すとそこには、ちょび髭が特徴的な筋骨隆々のスキンヘッドをした厳つい男がいつの間にか立っている。

 服装は紫色のツナギを着ており、年齢は三十代半ばだった。

 よく見れば、厳つい男の後ろにも、何人か男がいる。

 男!? 男の生存者がいたのか?

 俺は突然現れたことよりも、男の生存者がいたことに驚く。

「こいつは、今から俺様たちと一緒に行く予定なんだ。だから、諦めてくれや」

 そう言って厳つい男は、俺の頭の上に大きな手を乗せる。

 身長172cmの俺よりも背が高く、190cm近くはありそうな巨漢だ。

「あらあら、新しい弟くんがこんなにたくさん。お姉ちゃん。嬉しいわ」

 明らかに女性の方が厳つい男よりも年下に見えるが、それでも女性は厳つい男を含めて男全員を弟くんと呼ぶ。

「そりゃあ良かった。そういう訳で、今回は諦めてくれるか?」
「駄目よ? だって、約束したもの」
「こっちが先約だ。後にしてくれ」
「弟くんが後にしてくれない? 何なら、皆で一緒に寝てもいいわよ?」

 女性もそうだが、この厳つい男も一歩も引かない。

 噛まれれば終わるというのに、何故この厳つい男はこうも堂々としているのだろうか。

 背後にいる数人の男たちも、心配している様子がない。

「そりゃあ、無理な話だ。俺様もこいつも、女と寝るのは勘弁願いたいな」
「何でかしら? お姉ちゃんの体、そんなに魅力ないかしら? 少しくらいなら、触ってもいいのよ?」

 俺の時と同様に、話が平行線になると思われた。

 しかし、次の厳つい男の言葉で一変する。

「それこそ無理だ。何故なら、俺様もこいつも女に興味ないからな! 男同士でしか寝ない!」
「あら?」
「は?」
「うそっ」

 女性だけではなく、俺やこれまで黙っていた瑠理香ちゃんまでも驚く。

「これからの予定ってのも、一発おっぱじめるからなんだぜ? このお嬢ちゃんを家に帰したら、後ろのこいつらも含めてパーティするんだ。だから、あんたのところで寝るわけにはいかねえ」

 続けて、厳つい男はすごいことを口にした。

「り、凛也さん、そっちの人だったんだ……」

 瑠理香ちゃんも勘違いをし始めてしまう。

 俺は違うと言いたかったが、ここで言ってしまうと女性にまで嘘だと気が付かれる。

 瑠理香ちゃんには後で言い訳するとして、俺は厳つい男の話に乗ることにした。

「そ、そうなんだ。アニキとは、これからパーティなんだよ。言い忘れていたけど、俺、女に興味ないんだ。お姉さんと寝るのはある意味拷問だよ」
「そ、そんな……」

 俺の言葉に、女性が驚きを露にする。

「わりぃな。こいつはもう俺様のものだ」

 一瞬身の毛がよだつが、俺は我慢した。ここで拒否感を出せば気が付かれてしまう。

「そう。お姉ちゃん。男の子どうしってまだ分からないけど、応援するわ。愛には、いろんな形があるものね……残念だわ」

 女性は肩を落とすと、トボトボとその場から離れていった。

 そして、光の粒子になって消えていく。

 この光の粒子になって消える現象は、いったいなんなのだろうか。

 気になるが、今は後回しにする。

「た、助かりました」
「構わねえよ。俺様たちも、この団地にようがあったからな」

 ニヤリと笑みを浮かべながら、厳つい男は一度俺の頭を乱暴に撫でると、手を離す。

「えっと、俺は氷崎凛也です。この子は友人の妹で、岸辺瑠理香ちゃんです」
「おう、ご丁寧にどうもだ。俺様は、漢田奈須雄おとこだなすお漢の天国メンズヘヴンのトップをしている」

 漢の天国メンズヘヴン? 男だけのグループか? あまり、近づきたくないな。

 厳つい男、漢田さんの名前を聞いた後、背後にいた数人の男性たちの名前も聞いた。

 どうやら、漢の天国メンズヘヴンのメンバーらしい。

「そういうわけで、この団地には漢の天国メンズヘヴンのメンバーがいるんだ。大事なメンバーだからな。助けないわけにはいかねえんだ」
「な、なるほど。そこに俺たちが偶然居合わせたわけですね」
「そういうことになるな」

 漢田さんが来なかったら、おそらくあの女性に抗うことは難しかっただろう。

 ちょっと変わった人だけど、仲間想いで良い人そうだ。

「本当に助かりました。ありがとうございます」
「いいってことよ。どういう訳か、あいつらは男同士が愛し合っていることを聞くと身を引いてくれるからな。楽勝だぜ」
「そ、そうなんですか」

 貴重な情報だが、俺が上手く活用できるかは、まだ分からないな。

「ああ、だが、あいつらは嘘を見抜く時がある。メンバーの弟がノンケなんだが、ゲイの振りをしたら数回目には見抜かれて噛まれちまった」
「それじゃあ、俺も多用できませんね」
「そのようだな……」

 ここで、遠回しに俺もノンケだということを伝える。

 漢田さんは、少し残念そうだ。

 それはそうと、嘘を見抜く存在がいることを知れて良かった。

 知らないでいたら、その内嘘の言い訳を見抜かれて、噛まれていたかもしれない。

「まあ、俺たちの漢の天国メンズヘヴンは、女は入れねえからな。その嬢ちゃんがいちゃ、どのみち入るのは難しかっただろう」

 こんな世界になったからこそ、漢田さんはこの男だけというルールを厳守しているそうだ。

 既に、女性恐怖症に陥った男性もいるようだった。

 そうだよな。少女に噛まれた人を見れば、女性恐怖症になってもおかしくない。

「そうですね。他の仲間にも女の子がいるので、難しいですね」
「そうか、まぁ、何かあれば言ってくれ。仲間に入れるのは難しいが、こんな世界だ。助け合おうぜ」
「はい。その時はよろしくお願いします」

 俺は最後に漢田さんと連絡先を交換すると、一礼してその場を後にした。

 生存者たちも確かに存在している。

 それだけで、俺はどこか身体が軽くなった気がした。


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