009 偽善心の代償

「な、何が起きたっすか!?」

 そんな状況に、ようやく少女が顔を上げる。

「よかったな。お前を養ってくれる奴が三人も現れたぞ」
「む、無理っす! どう考えても情欲にまみれれているっす! きっと連れていかれたら酷いことされるに決まってるっす!」

 そう言って少女が俺のローブにしがみ付くと、そのまま回り込むようして、俺の背後にへと身を潜めた。

「え? もしかしてあのガキは女か?」
「お前、今更気が付いたのか? 俺は最初から気が付いていたぞ」
「俺は女でも野郎でも関係ない。NPCがプレイヤーを土下座させていたんだ。きっとこれはイベントだぜ!」

 俺の声色を聞いて、プレイヤーたちはそれぞれ反応を示したが、結局何かのイベントだと判断したのか、誰一人として俺の前から引き下がる者はいなかった。

 これは、面倒だな。プレイヤーネームを隠していたことが仇となったか。

 時が経てば経つほど、周囲にいるプレイヤーの数が増えるであろうことは、容易に想像することができた。今も騒ぎを聞きつけて、何人かのプレイヤーが追加で集まってきている。

 倒すのは簡単だが、その瞬間、様子を見ていたプレイヤーたちも襲い掛かってくることだろう。そもそも今の戦闘能力では、襲い掛かってくる全てのプレイヤーを倒しきる前に、こちらがやられしまう可能性が高い。それならば、この場で戦うという選択よりも、逃走を選んだ方がはるかに生存確率が高いはずだ。

 そう判断を下すと、みとっともなく俺の背に隠れている少女を引きずり出して、両手に抱える。いわゆるお姫様抱っこという状態だ。

「仕方がない、安全な場所まで運ぶぞ」
「ふぇ?」

 突如として俺に抱えられた少女は、その状況をすぐには理解することができず、間の抜けた声をを出す。

「舌を噛むなよ」

 俺が最後にそう少女へと忠告をした直後、魔力操作のスキルを発動させて一気に魔力を足元へと集める。そして、一瞬で集まったそれを、躊躇ためらいなく地面に向けて放出した。

「ひゃあああああああああっ!?」

 当然ロケットのように飛び上がったそれに、下っ端のような少女の口癖も、その時だけは一瞬吹き飛んでしまう。そして、代わりに可愛らしい悲鳴が少女の口から放たれると、それを皮切りに呆気にとられていたプレイヤーたちが、それぞれ騒ぎ始める。

「と、飛んだ!?」
「やっぱりこれはイベントだったか!」
「早く追うぞ!」

 そんな言葉が終始飛び交ってはいたが、それも次第に距離が離れるにつれていき、当然聞こえなくなった。

≪一定の経験値により、通常スキル『魔弾』を取得しました≫
≪一定の経験値により、通常スキル『跳躍』を取得しました≫

 すると条件を満たしたのか、機械的な音声で、俺の脳内へと直接スキルを取得したという知らせが届く。

 ……こんなことで、スキルが取得できてしまうのか。あの有名な言葉を借りると、まさしくこれは、スキルのバーゲンセールだな。

 簡単に取得してしまったスキルに対して、俺はそんなことを思いつつ、元々所持した浮遊スキルでバランスを取ると、そのまま滑空かっくうして村の柵を容易に飛び越えた。少女もようやく落ち着きを取り戻したのか、個性である下っ端口調で再び喋り始める。

「す、すごいっす……それに、こんなきれいな人、初めて見たっす……」

 そう言って、俺の両手で抱えられている少女が、見上げるようにしてフードの中を覗き込んでいた。それに対して、俺は特に何も言うことはなく、そのまま人の気配がしない森の中へと、安全を確認してからゆっくりと着地した。

「こ、これは、到頭私の時代が来たかもしれないっす……リュフフッ」

 少女を地面に降ろすと、何やら一人でぶつぶつとつぶやいており、俺の方をちらちらとうかがっては、だらしのない声までもこぼす始末だった。

 どうやら、自分を中心に上手くイベントが進んでいるのだと、そう思っているようだ。あの状態で放置するのは流石に気が引けたからここまで連れてきたのだが、いい加減目を覚まさせるべきか。

「なあ」
「にゃ、にゃんでございますっすか?」

 俺が声をかけると、少女は驚きつつも言葉を噛みながら、媚びへつらうかのように、手でゴマをすり始める。

「俺が手を貸すのはここまでだ。後は自分で何とかしてくれ」
「えっ……」

 少女はまるでこの世の終わりかのように、言葉を詰まらせて硬直をした。しかし、そんなことは俺には関係がなく、背を向けてその場を後にしようとした――その時、少女が叫ぶようにして、言葉を吐き出す。

「み、見捨てるんすか!? このまま村に戻ったらそれこそ、大勢に狙われるっす! 罪のない無抵抗な人間が酷い目に合うのを分かっていて、私を置いていくんすっか!?」
「……」

 その言葉に、俺の足は一瞬足が止まる。少女に同情したのではなく、あること・・・・を思い出した結果だった。しかし、少女からしてみれば、俺が自分に同情して足を止めたのだと、そう思ったようだ。

「中途半端に助けておいて、本当に困ったときには見捨てるんすか? それって、偽善者っすよ」
「……そうだな」

 俺は少女の言葉を聞いて、そのことを認めた。いや、認めざるを得なかった。どうやら過去の自分、初めて異世界に来た当初の甘ったれた偽善心が、ある程度戻ってきてしまい、その中途半端さが今回の原因を呼び込んでしまったのだと、俺は自分の迂闊うかつさに思わず唇を噛みしめてしまう。

 これでは、他のプレイヤーを馬鹿にすることなど、到底できるはずがない……。

 心落ち着かせるかように、そう自分を納得させようとした――その時。優勢だと調子に乗った少女の口から、言ってはいけない言葉が発せられる。それは、虎の尾を踏んでしまうようなものだった。

「それが分かっているのなら、今すぐ助けてくださいっす! でないと、いつかあなたは中途半端な偽善心で、大切な人を失って・・・・・・・・、きっと泣く破目になるっすよ!」

「――あ”?」

「え……ひッ!?」

 その瞬間、俺はまるで時が止まったかのように感じた。脳裏には忘れなければと思いながらも、最後まで忘れることができなかったある言葉が再生される。

『もう大丈夫よ。私は一人でもやっていけるから』
『きっと、レトが普通に町を歩けるようにしてみせるね』
『私の聖魔法で、あなたの心を癒せたらよかったのに』
『大丈夫、きっとみんな分かってくれるわ』
『だって私、聖女・・ですもの。きっと――』

 続けて俺の想いまでもが、呼び起こされてしまう。

 ――最後まで、彼女に手を貸すべきだった――
 ――人は邪神から助けられたとしても、平気で裏切る。だから、愚かにも過ちを繰り返すのだ――
 ――太陽のような彼女が死ぬ理由など、存在する訳がない――
 ――結局、種族も性別も関係ない。悪が悪を誅するのであれば、俺が更にその悪を誅するしかない――
 ――なんで、俺はヴァンパイアなんだ? なんで、性別が変わった? なんで……?――

 流れるように、俺の心にそれは濁流だくりゅうの如く、押し寄せてくる。心を押し広げ、制御することができない。ただ、自分の愚かさと後悔、過ちを繰り返す者への怒りが溢れ出す。そして、自分の根源から、出てきてはいけない何かが、顕現けんげんする。

≪一*の*験***り、**ス*ル『*****』を取**――error、error≫

 その瞬間、脳内にエラーを知らせる声が響いた。だが、そんなものは関係ない。俺の体から、赤黒いオーラのようなものが一度に溢れ出し、影のようにそれは少女の元まで伸びた。

「や、やめッ――」

 本能的に何が起こるのか理解した少女は、必死に叫ぼうとする。しかし、最早それを止める術など、等に存在しない。そして最後に、発動を完了するための名称を、俺は口にする。

「ブラッディ・イーター」

 その言葉が発せられた直後、それは動き出す。血の池が波打つかように脈動し始めたかと思えば、少女の足元から血色のスライムを彷彿とさせるもの、塊が一瞬で少女へとまとわり付いていく。逃げる隙などどこにも無い。

「ン”ー! ン”ン”ン”ッ!!」
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 そして、最早言葉を発生する隙間すらなくなった少女は、ゆっくりと血の池の底へと、悲痛の叫びを上げながら引きずり込まれていった。

「もう思い出したくはなかったのだがな……しかしそれも、結局は無理な話か」

 異世界から帰還する理由の中で重要であったその呪縛は、おそらく、今後解けることはない。そう、永遠に。

 俺は、効力が切れて元に戻った変哲へんてつもない地面を見て、重いため息を吐いた。そこに少女に対しての罪悪感などは、存在しない。

 真祖以外の能力は無くなっていたのかと、そう思っていたのだが、どうやらあれ・・も残っていたようだな。邪神といえども、あれは取り除くことができなかったか。

 俺がちょうど、邪神のことを考えていたその時、狙ったかのようにそれは唐突に聞こえてくる。

『我好みの面白い子、見つけちゃった!』

「!?」

 悪いことは続くもので、俺の脳内にはキャラクターメイキングの前に聞こえてきた少女の声、邪神の声がそう、苦々しくも響き渡るのだった。


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