俺はいったい誰なのだろうか?
それが最初に思ったことだった。
体が動かない暗闇の中、いや、体の感覚のない暗闇の中で、俺はぼんやりとただ存在しているだけだというのに、そこに何の不快感も無く、負の感情すら湧き上がってはこない。
不思議な感覚だ。心地がいい。いつまでもこうしていたいほどだ。
それどころか、この場を離れたくないとすら思ってしまう。
実際、どれだけの時をこの場所にいたのかさえ不明だった。
数分、数時間、数日、数年、それ以上な気もしている。時間の感覚がまるでなかった。
……誰でもいいか。
最終的に、自分が何者なのかという答えも、どうでもよくなってしまう。
なんだろうな、目が覚めた直後みたいな、もう少し寝ていたいような感じだ。なんだっけ? ……そう、二度寝。これは二度寝のときみたいだ。
その答えに辿り着くと、俺の意識はまた沈み始める。だが、それを止める者がいた。
「せっかく目覚めさせたのに、そこで眠られるのは困るんだけどな」
誰だ?
どこからか聞こえてくる声は、少年と老人を重ねたような複数のものだった。
「我は無数にいる神の一柱さ。といっても、君にはどうでもいい存在だろうけどね」
確かに、どうでもいい。それよりも、俺はこの心地よさに身を任せたい。逆にそれを阻害されて不機嫌だ。
「まあまあ、怒らないでよ。起こしたことは悪かったさ。でも、本当の意味で目が覚めれば、きっと君は我に感謝するはずだよ?」
何を言っているんだ? 本当の意味? 訳が分からない。
「今はわからなくても仕方がないさ。さて、突然だけど時間もないし、本題に入らせてもらうよ。我は複数の神とゲームをしていてね。君に我の陣営に来てもらいたいんだ」
本当に突然だな。それにゲーム? そんな面倒なことはしたくはない。俺は一刻も早く眠りにつきたいんだ。
「やっぱりそういうよね。けど、これは決定事項なんだ。既に君の体も用意したし、もうすぐその場所に君はいかなければならない。この場所に戻ってきたければ、我に勝利をもたらしてくれ」
何を勝手に……。
「そうそう、他のプレイヤーから違和感をもたれないように、手ごろな知識を与えておくよ。あとは君がやる気が起こるように、保険もつけておく。これでばっちりだ」
ふざけ……。
「じゃあ、そういうことでよろしくね」
神を名乗る声が途切れると、そこで俺の意識は途絶えた。
◆
「ここはどこだ!?」
「俺は死んだはずじゃ?」
「何が起きた!?」
目が覚めると、真っ白な空間に数多くの人らしき黒いシルエットがわめき散らしている。そのほとんどが戸惑いのようであったが、中には歓喜しているものもいるようだった。
なんでこんなことに……俺はあのまま眠りたかった。
だが、その中で俺は周囲とは違い、眠りたかったという理由から嘆いている。そんな雰囲気の中、少ししてあの声が聞こえてきた。
『ふふ、みんな驚いているようだね。初めまして、我は無数にいる神の一柱。まあスペードの神とでも呼んでくれたまえ。因みに、別にスペードを司っているわけじゃなく、ただ単にスペードの陣営という意味だ』
スペードの神と名乗った少年と老人を合わせたような声が、頭の中に響く。どこかその声には高揚したものが感じ取れた。
「スペードの神?」
「神様? うそでしょ?」
「テンプレキタコレ!」
「ダイヤとかクラブの神とかもいそうだな」
黒い人型のシルエットたちが、スペード神の言葉を聞くや否や、それぞれ騒ぎ始める。
『どうやらかなりの人物が気が付いたようだね。そう、我の他にもハートの神、クラブの神、ダイヤの神と陣営が分かれる。その者たちと、君たちは戦わなければならない。それも、拠点の奪い合いだ。勝てば勝つほど豊かになるし、負ければ負けるほど貧しくなる。そして、すべての拠点が奪われれば、問答無用でその陣営の者は命を失うこととなる』
面倒なことになったな。なら他の陣営と結託して不可侵条約とかは……無理なんだろうな。
スペードの神の言葉を聞いて、俺はそんなことを思ったが、案の定それはすぐに否定される。
『因みに、争いが起こらなければ罰則とともに負けた場合のデメリットが増した状態で争わせるからそのつもりでいてね。それに、手に入れた拠点を君たちの誰かが手に入れることも可能だ。つまり、その拠点で王になることができるということだよ。もちろん複数人で共有してもいい』
その言葉をスペードの神が発した瞬間、周囲が湧き上がる。
「俺が王に……」
「ハーレム」
「イケメンを侍らせて……」
「世界征服もできるんじゃ?」
「なら陣営を支配することも……」
数多くの欲ある者たちが、いかにして周りを蹴落とすかと殺気立つ。
他の陣営だけが敵じゃないという訳か。同じ陣営こそ危なそうだな。それに、下手をすれば足の引っ張り合いで早々にすべての拠点を失うとかもあり得そうだ。
俺は益々面倒だと思い始めた。
『そして、戦う君たちは現段階では無力だ。しかし、それぞれの資質を元にポイントが与えられる。それを使用してキャラクターメイキングをしてもらう。もちろん容姿を変えることも可能さ。そのことを考慮して黒いシルエットということだ。さて、悔いのないように、頑張ってキャラクターメイキングをしてくれたまえ』
そう言い終わると共に、俺の目の前に透明な四角い板が現れる。周囲に同じものがないことから、どうやら本人にしか見えないらしい。
「なんだよこれ……」
俺は思わずそう声に出した。すると近くにいた者がそれに反応し、何故か見下したような笑い声を上げる。どうやらポイントが少ないと思われたようだった。
だが、俺が思わず声を出した理由はそんなことではない。右側に表示されている自分の分身、アバターが問題だった。
俺の性別は女だったのか? いや、そもそも俺とは言っているが、性別が男だとは限らない。しかし、精神的には男だと思っていたのだが……。
そう、表示されているアバターは、どう見ても十代前半の少女にしか見えなかった。それも腰まで伸びた長い銀髪と、どこか眠そうではあるものの、透き通った紫紺色の瞳をした美少女。
それが自分自身だということが、この場所に来る前にスペードの神が与えたという知識として浮かび上がってくるのだ。
いや、待て、この見た目で男なのか? なんの冗談だ?
右側のアバターに注目しがちだったが、左側にあるステータスに目を向けると、性別欄が男であると示していた。
そういえば、体はスペードの神が用意したんだったな……。なんの嫌がらせだ。ご丁寧に知識にもあるアバターの見た目を変えるための項目が無いときている。
完全に面白がっているのだと理解しつつも、俺は他におかしな点がないか探し始める。
すると案の定、性別、年齢、種族、名前までもが固定化されており、何よりも許せなかったのが、取り外し不可能なスキルが与えられていることだった。
名称:不眠の祝福
効果:一日の睡眠時間が三時間になり、それ以上はいかなる能力をもってしても眠ることができなくなるが、睡眠時間における恩恵を三倍得ることができる。
つまり、俺は三時間で九時間分の睡眠に加え、それ以上はどうやっても眠ることができないらしい。
は、ははは、俺にこれを与えるのか。あれだけ眠りたいと言っていたこの俺に。
その瞬間、俺の中でスペードの神に対する殺意が湧き上がってくる。
こんな真似をして協力をするとでも思っているのか? お前の陣営をめちゃくちゃにしてやってもいいんだぞ?
俺がそう思った瞬間、頭の中に声が響く。
『それは困るなぁ。けど、おそらく君はそれがなければ一日中寝ているだろう? それに、よく考えてくれ、三倍の恩恵というのは、睡眠時の充実感という点でも三倍だ。つまり、君の想像以上に至福な睡眠だよ。あの場所での眠り以上だ』
「なん……だとッ!?」
思わず俺は声を上げ注目を集めてしまう。しかし、そんなことはどうでもいい。至福、極上の睡眠。その言葉に俺は心が震えた。
『もし君が望むのならば、その倍率を上げて睡眠時間を延ばしてあげてもいい。そうすれば更なる至福が得られるだろう』
「更なる至福……な、なにが望みだ」
俺は最早更なる至福の睡眠を得るためならば、あらゆる条件を呑んでもいいとすら思ってしまう。
『簡単なことさ。残りのキャラクターメイキングを我に任せてくれないか? それ以上の介入は本人の許可がなければ、少々厄介なことになりそうでね。それと、我の陣営を常勝とはいわないまでも、有利になるように動いてくれるだけでいい。どうだい?』
「わ、わかった。その条件を呑もう」
『ふふ、助かるよ』
その瞬間、俺の意識は再び途絶えた。
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