この学校は、もうだめかもしれないな……。
下駄箱を目指す俺たちは、一つの教室の前を屈んで通り過ぎる。
出入口のドアにある小さな窓からこっそり教室を覗くと、大勢の少女たちが授業を受けていた。
一クラスの男女比はおおよそ半々なので、全員が少女ということはありえない。
おそらくこのクラスは、全滅してしまったのだろう。
それよりも、少女たちが普通に授業を受けていることに驚きだ。
他のクラスも含めれば、数百人規模になるかもしれない。
その数が一斉に押し寄せたら、ひとたまりもなかった。
あれ? じゃあ、教室の外を普通に歩いていたあの少女は何だったんだ?
とても気になる。
しかし、今はそれどころではない。
俺たちはゆっくりとその場を後にした。
そうして他の少女と遭遇することなく、俺たちは無事に下駄箱へと辿り着く。
「よし、靴は無事だな」
「凛也君。急いだほうがいいかも」
「そうだな」
鬱実の言う通り、そろそろ二時限目も終了する。
つまり移動教室などがあった場合、大勢の少女と鉢合わせする可能性があった。
さて、このまま馬鹿正直に外に出るか、それともどこかの窓からこっそりと出るべきか。
俺がそのことについて悩み始めたとき、夢香ちゃんが近くにやってくる。
「り、凛也先輩、外、近くには誰もいなさそうです。
「本当か? というか、確認に行ったのか? 危ないぞ」
「す、すみません。私の下駄箱は出入口に近かったので……」
飼い主に褒められようとして、虫を持ってきた猫を叱ってしまった感じになってしまった。
夢香ちゃんがシュンとする。これはいけない。
「い、いや、助かったよ。近くにあの少女がいないのであれば、そのまま外に出よう」
「凛也君。あたしも見てきたよ? 近くにあいつらはいないわ」
俺が夢香ちゃんをフォローすると、鬱実も期待するように報告に来た。
「そうか」
「凛也君があたしだけに、塩対応ぅぅぅ」
こいつは、褒めた方が面倒だからな。これでいい。
それから俺たちは靴に履き替えると、注意しながら外へと出る。
二人の言った通り、近くにあの少女はいない。
しかしグラウンドの方を確認すると、遠くに少女たちが体育の授業を受けているのが確認できた。
ここからなら早々に気が付かれることはないだろうが、念のため注意して進む。
鬱実の秘密基地は学校の裏山にあるので、当然裏口の方が近い。
俺たちはまるで特殊部隊のように隠密を心がけて、学校の裏口を目指す。
校舎裏を回り、順調に目的の裏口が近づく。
少女たちは真面目に授業を受けているのか、周囲にはいない。
また窓から顔を出す者もいなかった。
これなら問題なくいけそうだ。
俺がそう思った時だった。
「あっ……」
学校と道路を挟むフェンス越しに、誰かと視線が合う。
「あら? こんなところで逢引きかしら? 若いっていいわねぇ」
それは、初老の女性だった。
この人物はあの少女と同じ存在なのか、それともただの通りすぎなのか、俺はとっさの判断ができない。
「えっと……」
俺が何か言う前に、初老の女性はそのまま歩いていく。
「あの人、まだこの状況を知らないんじゃ……」
「じゃあ、引き留めないと」
夢香ちゃんの言葉に、俺はハッとして初老の女性に声をかけようとした。
「ダメ」
「えっ?」
だが、そこで鬱実が止めに入る。
「何で止めるんだ? あのままだと、あの人が危ないだろ」
「それでもダメ。あたしたちに余裕はない。助ける人はもっと厳選するべき」
「厳選って……」
俺は鬱実の言うことを頭では理解できたが、感情では納得できない。
現状あの初老の女性を説得して、秘密基地まで連れていくことが難しいことも理解はしている。
今の状況を教えるだけでもと思ったが、それであの初老の女性が助かるとは思えない。
どうすればいい?
思考がグルグルと回り、混乱してくる。
そうして悩んでいる間に、初老の女性は見えなくなってしまった。
「凛也先輩……」
夢香ちゃんが心配して声をかけてくる。
「行こう……」
俺は、断腸の思いで先へと進む。
夢香ちゃんと鬱実は、何も言わずについてきた。
俺は二人を見て軽く深呼吸をすると、頭を切り替える。
少しずつ俺は、冷静さを取り戻していく。
すると改めて、先ほどいた初老の女性への対応に、自分の浅はかさが浮き彫りになる。
くそっ、何を悩んでいるんだ。俺は主人公ではない。
漫画のように、見知らぬ他人まで助けようとしてどうする。
自分たちの生存まで危ぶまれている状況下で、まだ平和ボケをしていたのかもしれない。
俺がまず助けなければいけないのは、現状この二人だ。
鬱実は変な奴だが、一応親しい間柄? かもしれない。
夢香ちゃんは、当然救う対象だ。
俺にいつも料理部で作ったお菓子を持ってきてくれるし、慕ってくれているのを日々感じている。
学校の友人がおそらく手遅れである以上、この二人をまずは優先しなければならない。
それで他人まで救おうとするのは、結果的にこの二人を危険にさらす。
物資の問題もあるだろう。
ゾンビものであれば、食料を確保するのは至難だ。
人が増えれば、当然消費量も増す。
鬱実の助ける人を厳選するというのは、あながち間違いではない。
「鬱実、さっきは助かった」
「う、うん」
俺が不意にお礼を言うと、照れたように返事をする鬱実。
いつものように変な返しをしてくると思った俺は、不覚にも鬱実の返事にドキリとしてしまった。
このことは、墓場まで持っていくことを誓う。
そうして、俺たちは無事に学校の裏口に辿り着いた。
「さて、ここから学校外になるわけだが……」
「おそらく、あいつらがいる可能性があるよね?」
「そうだよな……」
この学校だけが特別おかしいとは思えない。
道中、下手をすれば複数の少女と鉢合わせをする可能性もあった。
裏山は学校の目と鼻の先とはいえ、多少公道と住宅街を通る必要がある。
「二人とも、ここからも慎重に進もう」
「は、はい」
「わかったわ」
そうして俺は、注意深く裏口から顔を出して、周囲の確認をしてみる。
よし、人影はない。
「行くぞ」
俺たちは、公道を進む。
思ったよりも、静かだな。
元々車の通りは少ないが、一台も見かけない。
また道を歩く人影もなかった。
みんなやられてしまったのか? それとも、避難したのだろうか……。
そう考えるとあの初老の女性は、まだ襲われていないという意味で言えば、運が良かったのかもしれない。
周囲を見渡せば住宅が多く、この静けさはまるでゴーストタウンのようだと感じてしまう。
「な、何だか怖いです……」
夢香ちゃんも周囲の雰囲気から、俺と似たような印象を感じ取ったようだ。
「そうね。でも、家の中には人がいるみたい? 気配を感じる」
「気配を……感じるんですか?」
「そう、他人の気配を感じ取る能力は、必須能力」
それはストーキングする上での必須能力なのか? と質問しそうになったが、俺は口を閉ざす。
現状、鬱実の特殊なストーキング能力は役に立っている。
その対象が”俺”という事実が無ければ、もろ手を挙げて喜ぶところだ。
「人が家の中にいるなら、その分注意していこう」
「そ、そうですね」
「あたし、凛也君のために頑張るよ?」
「あ、ああ、頼む」
「ふふっ」
俺たちが警戒しながら進むことしばらく、無事に住宅エリアを抜け、何事もなく裏山の入り口にまでやってくる。
ここまで来れば、大丈夫だろう。
「案外、何とかなったな」
「そ、そうですね」
夢香ちゃんと俺はそう言って、息を整える。
「凛也君と夢香ちゃん。こっち」
「ああ」
「は、はい」
そうしていると、鬱実が俺たちに手招きをして、どんどん先へと進んでいく。
俺たちは追うように鬱実へとついて行く。
当然と言えば当然なのだが、俺の住んでいるボロアパートは直ぐそこだった。
この状況が解決したら、引っ越そう……。
俺は心に強く誓った。
「ここ」
「ん?」
「どこですか?」
辿り着いた先を鬱実が指さすが、そこには茂みしか無く、秘密基地らしき物は無い。
もしかして、秘密基地は嘘だったのか?
俺がそう思った時だった。
鬱実が何やら小さなリモコンを取り出して、ボタンを押す。
すると、茂みの根元の地面が僅かに動き始める。
「ここだよ?」
そして鬱実が茂みを手で動かすと、そこには地下へと続く梯子があった。
「まじか……本格的すぎるだろ……」
「す、すごいです」
明らかに入り口部分からして、高校生が作れる秘密基地のレベルを遥かに超えている。
鬱実、お前はいったい何者なんだよ……。
「先に行くね?」
そう言って、鬱実は梯子を一人で降りて行く。
「お、俺たちも行くか」
「は、はい……」
俺と夢香ちゃんは戸惑いながらも、鬱実を追って梯子を降りることにした。
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