003 個室で休憩

 無事に褐色の少女を退けた俺は、ひとまず一階にある男子トイレで休憩することにした。

 しかし何故かこの二人は女子トイレではなく、男子トイレに入ってくる。

「……何で同じ個室に入ってくるんだよ……」
「何だかドキドキするね?」
「えっと……その……」

 便座に座る俺の目の前で、二人のスカートが揺れた。とても目に悪い。

 身長が160cmくらいで、高校生とは思えないモデルのような体型をしている鬱実。

 対象に身長155cmほどで、黒髪を小さなサイドテールにしている岸部さんは、少したれ目で雰囲気から森に住む小動物を彷彿とさせた。

 タイプは違うが、どちらも見た目はかなり整っている。

 狭い空間で意識しすぎないように、俺は軽く息を吐いて気持ちを落ち着かせた。

「まあ、こんな状況だし、固まっていた方が精神的には楽か」
「うん。凛也君が近くにいないと、あたしは心細い」

 は? お前は男子トイレで握り飯食べるくらい精神がずぶといだろ!

 その思いが口まで出かかったが、俺は言葉を飲み込む。

「わ、私も……心細くて……」
「あ、ああ、岸辺さんは仕方がないよ」
「うぅ、あたしの凛也君があたし以外にやさしくしてるぅ」
「……」

 なんというか、とても面倒くさいやつだ。

 しかしこんな状況下である以上、一人でも仲間は欲しい。

 そう、これ見よがしにスカートを少しずつ摘まみ上げて、見せつけてくる痴女だとしてもだ。

喪不野もぶのさん、ぱ、ぱんつ見えちゃうよ……」
「夢香ちゃん、鬱実でいいよ?」
「えっと、はい、鬱実さん」
「どうでもいいから、それ以上スカートを上げたら追い出すぞ」
「凛也君があたしを意識して……はぁはぁ」

 俺は鬱実を個室から追い出した。

「凛也君んんん!」
「えっと……」
「気にしなくていいよ」
「は、はい……」

 まあ、危なくなったら流石に入れてやろう。

 ストーカーで痴女だが、鬱実も馬鹿じゃないはずだ。ここで大声を出すことはしないはず……しないよな?

 そうしてようやく一息ついた俺は、岸辺さんに襲われるまでの経緯を訊くことにした。

「え、えっと、ですね。うぅ……」
「言いたくないなら、無理に言わなくてもいいけど……」

 何故か、少し恥ずかしそうに言葉に詰まる岸辺さん。

「い、いえ、言います。実は、お、お腹が痛くて、トイレに居ました。そ、それでトイレから出たときにあの女の子がいて、いきなりお姉ちゃんがどうとか言って襲い掛かられたんです」
「なるほど……」

 どうやら、岸辺さんも俺と同じように腹痛になっていたようだ。

 偶然か? いや、偶然以外ありえないか。

 少し疑い深くなってしまった。

「そ、そういえば、登校時に鬱実さんに会って、よくわからないカフェオレを無理やり飲まされたんですが、あれが腹痛の原因でしょうか……?」
「は? カフェオレ?」
「ひぅ!? は、はい。カフェオレです」

 カフェオレという単語に、俺は強く反応をする。

 それは当然だ。俺も朝冷蔵庫に入っていたカフェオレを飲んで、腹痛になりしばらくトイレから出れなくなった。

 ということは、あのカフェオレも鬱実が?

 あれ? 俺、アパートの戸締りはしっかりしていたよな……?

 もしかして……。

 身の毛がよだつとはこういうことかと、俺は改めて理解した。

「おい、鬱実。お前、どういうことだ?」
「あっ、り、凛也君。違うの。これには深い事情があってね? 凛也君が頑張っている個室の横に入りたかったとか、最近凛也君に近づく泥棒猫にちょっとイタズラしたかったとか、そんなこと全然ないんだよ?」

 トイレの個室にあるドアの向こうから、実質自白したような言い訳が飛んでくる。

「……酷いです」
「そうだな……」

 結果としてそれが今生き残っていることに繋がっているが、それとこれとは話が別だ。

「このことは、いつかきっちりと清算してもらうからな」
「う、うん! 清算する! 借金してでも凛也君に貢から!」
「……本当に大丈夫か、これ」

 話が少し噛み合っていないが、このまま続けても不毛だと俺は判断して話を終わらせる。

 ついでに、岸辺さんに現状分かっていることを共有しておく。

 ・世界中に少女が現れた。
 ・少女に噛みつかれると、少女になる。
 ・少女には複数の種類がいる。
 ・ゾンビと違って知性がある。
 ・お兄ちゃんと呼んでくる。
 ・身体能力が見た目以上に高い。
 ・追い払うと、光の粒子になって消える。

 分かっていることは少ないが、噛まれると実質死を意味することは間違いない。

 少女になった男子高校生に、元の人格が残っている気がしなかった。

 つまり、精神は完全に死ぬと思ってもいいだろう。

 それを聞いて、岸辺さんは顔を青くする。

 当然だ。俺が遅れていたら、今頃岸辺さんもあの少女になっていた可能性が高い。

「氷帝先輩、助けてくれて、ありがとうございます」
「ああ、気にするな……それはそうと、俺のことは凛也でいいよ」
「えっと……は、はい。凛也先輩? じゃ、じゃあ、私のことも夢香でお願いします」
「わかったよ夢香さん? いや、夢香ちゃんかな?」
「よ、よろしくお願いします」

 名前を呼ぶと、顔を赤くして頭を下げる夢香ちゃん。

 何だか初々しい。

 少し心が癒される気がした。

 そういえば岸辺さん、いや夢香ちゃんが口にする氷帝先輩というのは、後輩と同級生とで認識が違う。

 後輩からは氷の帝王だとか、中二病だとか、氷崎だから単純に氷帝になったという認識しかない。

 だがこの氷帝というあだ名は、そんな可愛いものではなかった。

 氷帝の真の意味は、『実は氷崎は童貞なんだって』→『氷崎は童貞』→『氷帝』となっている。

 意味が分からないだろ?

 これは、俺がある日夜更かしをして教室でうたた寝をしている時、クラスのお調子者が、何故か俺に〇〇〇の経験はあるか? と訊いてきた。

 この時俺は、この〇〇〇が上手く聞き取れず、よくわからなかったので安易に無いと答えてしまう。

 どうやらこの〇〇〇はS〇Xの事だったらしく、瞬く間に俺が童貞ということがクラス中に知れ渡ることになった。

 ちなみに元々俺は童貞なので、どのみち経験は無い。

 話を戻すが、つまり氷帝というあだ名は、俺が童貞だということを指している。

 なので後輩から氷帝先輩と言われると、何とも言えない気持ちになるのだ。

「ね、ねえ。そろそろ入れてほしいんだけど……だめ?」
「はぁ、分かったよ。入れてやる」
「ほ、本当! あたし、初めてだから優しくしてね!」
「……俺たちが外に出よう」
「そうですね……」

 俺と夢香ちゃんは、そうしてトイレの個室から出た。

「あたしの凛也君が、泥棒猫と一緒に男子トイレの個室から出てきたぁ……はぁはぁ」
「こんな時でもお前は平常運転だな。逆に尊敬するよ」
「ふふ、凛也君があたしを褒めてくれたぁ!」
「こ、この人大丈夫ですか?」

 とうとう、夢香ちゃんにも呆れられた鬱実。

 避難場所を知っていると二階で言っていたが、本当に大丈夫だろうか?

 不安しかない。

 しかし、こんな状況下で避難できるとなれば、それだけ自信があるということだろう。

 俺自身避難場所に心当たりがない以上、鬱実の提案に乗るしかない。

 これがゾンビものであれば候補がいくつか浮かぶのだが、相手は知性を持つ少女である。

 普通の避難場所では、裏をかかれて突破される可能性があった。

「とりあえず、鬱実が避難場所に心当たりがあるようだから、そこに行こう」
「そ、そこって、大丈夫なんでしょうか?」
「……どうなんだ?」

 行くしかないのだが、不安を払拭できたわけではない。

 夢香ちゃんも気になるようだし、俺も便乗して鬱実に避難場所が大丈夫なのか訊いてみる。

「問題ないよ。三年かけて私が作った基地だから、基本的に誰もやってこないはず」
「基地? 秘密基地か?」
「そう。秘密の基地」
「なるほど……」

 秘密基地とは、まるで小学生みたいな事やっているな。

 そのように最初は思った。

 しかし、こいつはストーカー痴女である。普通の秘密基地であるはずがない。

 純粋な気持ちで秘密基地を作るとは思えなかった。

「なあ、そこってどこら辺にあるんだ?」
「この学校の裏山にあるよ」
「東側か?」
「そうだよ? よく知っているね? もしかして、私の後をつけたの?」

 もじもじしながら、鬱実がそう問いかけてくる。

 しかしそれを俺は無視して、話を続けた。

「なあそこって、俺のアパートのベランダががよく見えそうだな?」
「うん、よく見えるよ! ベストスポット!」
「……やっぱりかよッ!」
「ひぅ!?」

 俺の剣幕に、夢香ちゃんが小さく悲鳴を上げる。

 対照的に鬱実といえば、どこ吹く風だ。

 秘密基地がある理由は理解した。

 クオリティも相当なものだろう。

 だが逆に信頼できてしまうのが悲しい。

「それじゃあ凛也君、あたしの秘密基地に招待するから、そろそろ学校から抜け出そう?」
「ああ、そうだな」

 そうして俺たちは、ようやくトイレから出ることにした。


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