第1章 001 始まりの日

 ゾンビ映画って、一度は見たことあるよな?

 ああ、俺も見たことはある。

 噛まれると、そいつもゾンビになっちまうんだ。

 そして最後には、ゾンビよりも人間の方が恐ろしくなるのが定番だよな?

 え? なんで急にゾンビの話をしているかって? そりゃ、もちろん……。

「お兄ちゃんにカプッー!」
「ギャッ――!? ……」
「「イェーイ!」」

 似たような出来事が、目の前で起きたからだ。

 ただ普通と違うのはゾンビではなく、可愛らしい女の子になってしまうこと。

 そう、少女が男に噛みつき、噛まれた男が一瞬で少女になってしまったんだ。

 バイ〇ハザードではなく、シスターハザード。

 後にこの一連の出来事は、そう呼ばれている。

 ◆

 腹が痛い。

 自宅の冷蔵庫には、購入した記憶のないカフェオレ。
 
 朝寝ぼけていた俺は、何も考えずそれを飲んだ。

 記憶にないということは、何時から置いてあったのか定かではない。

 そもそも、これまで置いてあることに気が付かなかったのだろうか?

 ということは誰かの罠か? いや、それこそない。

 俺は安いボロアパートで一人暮らしだ。

 家族がやってきた記憶もない。

 つまり、何も分からなかった。

 そもそも、一時限目の途中に席を立ち、既に三十分はトイレの個室に籠っている。

 もう既に二時限目へと突入していることだろう。

 2-Cの教室ではおそらく、「氷崎ひょうざきの野郎、バックレたな?」「いや、凛也りんやはギネス級の大物を生成しているに違いない」「流石氷帝!」などと噂されているかもしれない。

 だがそれは流石に、妄想が過ぎるか?

 腹が痛すぎて、思考がグルグルとし始める。

「――ッ!」「おにッ―」「たす――」「弟く――」

「あ?」

 俺がトイレの個室でそんな風に思考を回していると、外が何やら騒がしい。

 鬼? 鬼ごっこでもしているのか? いや、そんなはずはないか。

 あまりの腹痛に幻聴まで聞こえてきたのかと、俺は腹をさすった。

 ―――
 ――
 ―

 ようやく収まった。長い戦いだったな……。

 しばらくカフェオレは飲みたくない。

 俺はトイレの個室から出て手を洗い終えると、何事もないかのように出入り口から教室に戻ろうとした。

 だが出たところで、それが視界に入る。

「お兄ちゃんぎゅーッ!」

 男子高校生が、白いワンピース姿の少女に抱きしめられていた。

「は?」

 意味が、分からない。

 部外者が何故? とか、リア充場所を考えろ! とか、兄妹にしては仲良すぎじゃね? という内容が、頭の中を通り過ぎていく。

 俺は思わず硬直して、その場から動けなくなった。

 だが次の瞬間、目を疑う光景が発生する。

「お兄ちゃんにカプッー!」
「ギャッ――!? ……」

 少女が、男子高校生の首筋をよじ登るようにして噛みついた。

 そして、男子高校生が突如として光を全身から放ち、一瞬にして姿を変える。

「え……?」

 男子高校生は、噛みついた少女と瓜二つになり、服装まで同じ白いワンピース姿になっていた。

 それはまるで、ゾンビに噛まれた人物が、ゾンビになってしまうイメージを思い起こす。

「「イェーイ!」」

 少女二人は、今の出来事がまるで無かったかのように、仲良くハイタッチしていた。

 双子の様に見えるが、双子ではない。

 俺は実際に見て、知ってしまった。

「バイバイ!」
「じゃあねー!」

 そうしている間にも、片方の少女は下の階へと降りていく。

 逃げなければ。

 本能的に危険を感じ取り、その場から離れようとしたときだった。

「お兄ちゃん、どこに行こうというのかね?」
「――ッ!?」

 黒髪ロング。優しそうなたれ目をした少女は、獲物を見つけたかのように口角を上げて、俺を引き留める。

 嫌な汗と、速くなる心拍数。

 俺と少女の視線が、交差した。

「お兄ちゃん!」
「くッ!」

 駆け寄ってくる少女に対し、気後れした俺はその場で情けなくも、尻もちをついてしまう。

 やばいっ!

 そう考えた時には、走馬灯のように世界がゆっくりになる。

 尻もちをついた俺に飛びかかってくる少女。

 とっさに両手を前に出して身構える俺。

 噛まれたら終わる。

 それだけは理解していたのだろう。

 俺の両手は、吸い込まれるように少女の肩……ではなく、小ぶりな胸に何故か重なっていた。

 やわらかい。

 なんだ……これ? これが、俺の最後かよ……。

 胸に触れた嬉しさよりも、情けなさの方が勝った。

 視線を揉まれた本人に向けると、少女の口がゆっくりと開いていく。

 あ、噛まれる。

 そう、悟ったときだった。

「きゃっ!? お、お兄ちゃんのエッチ! もうしらない!」
「え?」

 噛まれることを覚悟した俺とは裏腹に、少女は自身の胸を両手で守り、キッと頬を赤く染めながら涙目で睨みつけてくる。

 そしてそのまま捨て台詞を発すると、こちらに背を向けて駆けだしたかと思えば、少女は光の粒子になって消え去っていく。

「た、助かった……のか?」

 目の前で起きた光景を未だに受け入れられないが、異常事態が発生していることは理解した。

 に、逃げないと。

 消えた少女は一人だけではない。

 噛まれて少女になってしまった男子生徒がいたように、他にも複数人いる可能性があった。

 とりあえず、トイレに一度戻って、落ち着こう。

 しばらく籠っていたこともあり安全だろうと考えた俺は、トイレの出入り口に向かおうとしたその時。

「はぁ、はぁ、はぁ。あ、あたしの凛也君が、他の女の子のおっぱいを揉みしだいて……うぅ、あ、あたしの方が先に揉まれたかったのにぃぃ」

 何故か男子・・トイレの出入口付近の壁に、しなだれかかっている女子生徒がいた。

 しかも、何やら興奮しながら呟いている。

「うわっ!? ……な、なんだ、鬱実うつみか……って、何で男子トイレから出てきたんだよ……」
「あ、凛也君……」

 俺が近づいてきたことに気が付いたのは、クラスメイトである喪不野鬱実もぶのうつみだ。

 鬱実はそう言って立ち上がると、スカートのしわを直してにっこりと笑みを浮かべる。

 同時に首を横に傾ける動きに連動して、片方の目にかかる前髪が揺れた。

 大変整った顔立ちに加え、腰まで伸びた黒髪のところどころには、赤いメッシュが入っている。

 更に明らかにこれも校則違反であるのだが、赤いカラーコンタクトがこちらの顔を覗き込んでいた。

 ここまで聞くと、美少女に微笑まれてラッキーだと思うかもしれない。

 しかし、俺はそうはならなかった。

 なぜならばこいつは、変態な上に、俺のストーカーなのである。

 そもそも、俺が襲われるところを見ていたのにもかかわらず、この落ち着きよう。

 こいつは普通ではない。

「うん? 何で男子トイレから? もちろん。凛也君の入っていた隣にいたからだよ?」
「……そ、そうか……」

 鬱実は、こういうやつなんだ。

「ちなみにお腹が空いたから、おにぎりも食べていたわ」
「え?」
「なんだか。いつもより美味しく感じたの。凛也君のおかげかな?」
「うわっ……」

 流石に俺はドン引きした。

 いや、今は引いている状況じゃない。状況を確認しないと。

 先ほど襲われた恐怖がしくも、鬱実のおかげで冷静に戻った俺は、状況の確認をすることにした。

「ああ、それなら世界中で今少女がどこからともなく現れて、他人に噛みついてはその相手を少女に変えているみたいだよ?」
「そ、それは本当か!?」

 鬱実はスマホの掲示板を開いて指さす。

 そこには丁度、俺がトイレに籠ったころに突如として少女たちが現れて、この現状を引き起こしたことが書かれていた。

「まだ詳しいことは分かってないみたいだけど、逃げた方がいいかも?」
「そ、そうだな。逃げよう。いや、クラスメイトたちはどうなっている?」

 気になったのは、2-Cのクラスメイトたち。

「多分、もう逃げているか、既に手遅れかも? だってこんなに静なんだよ?」
「――ッ。そ、そうだな。確かに、静かすぎる」

 思い返せば、トイレの個室に入っている時、外が騒がしかったことを思い出す。

 であれば、教室に戻るのは逆に危険かもしれない。

 どこにあの少女がいるのか、分からなかった。

「凛也君、あたし避難場所に心当たりがあるから、一緒に逃げよ? だ、大丈夫。へ、変なことはしないから……」
「……わ、分かった」

 若干の違和感があるが、こんな異常事態だ。流石におかしなことはしないだろう。

 俺は、鬱実の提案に乗って避難することにした。

 まずは、一階に降りる必要がある。

 周囲を見渡し人の気配がしないことを確認すると、俺は先頭に立って、ゆっくりと一階へと続く階段を降りた。

 よし、さっき下に降りて行った少女はいないようだ。

 そう、安心した直後だった。

「だ、誰か助けてぇ!」

 聞こえてきたのは叫び声。その声は、どこかで聞いたことがあった。

「――くッ!」
「り、凛也君! 待って!」

 俺は鬱実の静止を無視して、階段を駆け降りる。


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