006

街は倒壊した建物や瓦礫が散乱していた。雰囲気的に現代よりも古い建物が多く、また日本でないどこかの外国のような街並みだった。この物静かな場所に、モンスターなどいるのかと勘ぐってしまいそうになる。

 

 いや、どこかに必ずいるはずだ。終了条件の一つがモンスターの殲滅でいある以上、いつ襲われてもいいように身構えている必要がある。

 

 周囲を警戒しつつ道を進んでいるとき、ふと路地裏に視線を移す。

 

「――ッ!」

 

 俺は思わず声を上げそうになりながらも、それを何とか飲み込む。その視線の先には、男が一人佇んでこちらをただ見ている。眼窩がんかは暗く染まっており、青くただれた肌と、骨と皮しかないとも思える体躯たいく両手をだらんとぶら下げて動かない男からは、敵意すらも感じられない。その存在は俺に恐怖と吐き気を催す。

 

 なんだこいつは!? ゾンビか? なぜ攻撃してこない!?

 

 敵意の無い存在には俺の戦闘狂が発動しなかった。つまり、副次効果である恐怖心が麻痺せず、俺はまるで睨まれた蛙のようにその場から動くことができない。感覚が過敏になっているのか、周囲の光の届かない場所から複数の視線を感じた。本来ならば暗がりで見えないが、習得した暗視がそれを許さない。

 

「ひッ!」

 

 暗い建物の奥に、越冬中のてんとう虫の如く、その集団は光から逃れるように密集していた。ただその眼窩は全てこちらを向いている。敵意無く、静かに淡々と。それが、恐怖をより掻き立てた。年相応に、俺は惨めにも声を漏らしてしまう。

 

 どうする!? 斬るか? いや、逃げ……どこに? 

 

 俺の思考は混乱し始める。ただ見られているだけというのに、精神が乱される。

 

「うわああああッ!!」

「なっ!?」

 

 そんな時、どこからか男の叫び声が聞こえてきた。それをきっかけに、俺は金縛りから解けたように駆け出す。まともな人間がいる。それだけの理由で俺の足は叫び声の方へと向いた。

 

「え……」

 

 そして、辿り着いた場所には、山のように群がるあの存在。その中心から聞こえる悲痛な叫び。ただそれを腰を抜かして眺めている一人の男だった。

 

 これは……何があった。助けるべきか? いや、無理だ。なら逃げないと。

 

「た、助けてくれ!」

 

 すると、腰を抜かしているうちの男が俺に助けを求めてきた。俺はとっさにその男に駆け寄って肩を貸し、その場からすぐさま離脱する。最早チーム対抗戦などどうでもよかった。

 

 

「た、助かったよ。俺は佐賀義道さがよしみち先日までサラリーマンをしていたんだ」

 

 そう言って名乗った佐賀さんは、スーツ姿をした二十代後半だと思われる。

 

「俺は風音緋人かざねあかひと、高校生です」

 

 一応俺も名乗っておいた。

 

「はぁ、ネトゲ感覚でいたのがいけなかったのかな。安易に攻撃した奴はああなるし、他のメンバーは俺を置いて逃げるし、もう散々だ……」

 

 佐賀さんは語るようにそう口にした。誰かに言うことで少しでも心を落ち着かせたいのかもしれない。

 

「とりあえず、今はチームとか関係なく二日間生き残ることを考えたほうがいいかもしれません」

「ああ、そうだね。風音君の言う通りだ。あのゾンビ。昏き闇に潜む者だったかな。あれは少人数でどうにかなる存在じゃないからね」

 

 どうやらあのゾンビの正式名称は昏き闇に潜む者というらしい。モンスターの頭上を観察すればビッグラットの時のように浮かび上がるのだろう。俺はそんな余裕はなかったが。

 

「そうなると、他のチームと合流を目指すか?」

「そうだね。その方がいいだろう。そういえば、風音君のメンバーはどこにいるんだい?」

 

 そう尋ねられた俺は一瞬硬直したが、隠し通せることではないので今のうちに話しておくことにした。

 

「……いえ、俺チーム組んでないのでメンバーはいません」

「え?」

 

 佐賀さんに呆れられたような視線を受けたが、いないものは仕方がない。

 

 そうして、俺は佐賀さんと共に移動を開始した。どうやらあの昏き闇に潜む者――長いので適当に次からはゾンビと呼びことにする――は、こちらから攻撃しなければ襲って来ないらしいが、一度でも攻撃すると集団で襲い掛かってくる。先ほど見た襲われている男のように。なので、道中は案外問題なく進むことができた。

 

「風音君、俺はね、これは罰なんだって思っているんだよ」

「え?」

 

 唐突に、佐賀さんは身の上話を話し始めた。

 

「俺はね、親友の妻と不倫関係にあったんだ。最初は向こうが誘ってきたのが始まりなんだけど、それに乗った俺が悪かったようだ。最後に親友にあった時、彼は言っていたよ。どんな手を使ってでもお前を地獄に落とすってね」

「そうなんですか……」

 

 俺はその話を聞いて、自分はそうはならないようにと心に誓う。親友の隼人にそんなことを言われたら、俺はしばらく立ち直れそうにない。

 

「ああ、だから最初は好きだったネトゲと似たような世界に来れて喜んだよ。別世界でやり直せるとね。けど、現実はそこまで甘くなかったよ。ここは天国ではなく地獄だ。人が生きたまま喰われるところなんて、見たくなかったよ」

 

 佐賀さんはそう言って涙を流し、どこか遠くを見ていた。それ以降、特に会話はなく俺たちは他のプレイヤーを捜し歩く。だが、何も襲ってこないという安心感は、早々に崩れ去る。

 

「あれは……」

「ひッ!」

 

 突如として、曲がり角の向こうから異形の存在が姿を現す。

 

 それは、この場所に来て何度も見かけたあのゾンビ、昏き闇に潜む者を幾人も繋ぎ合わせたアンバランスな球体。長さの違ういくつもの手足でバランスを取り、球体に埋め込まれた無数の顔が、絶望した表情で青く濁った血の涙を流していた。

 

 なんだこいつは!? 

 

 その異形の化け物は、見上げるほど大きい。直径はおよそ4、5mほどあると思われた。頭上には、昏き闇の追放者と名称が浮かび上がっている。

 

「逃げましょう!」

「こ、腰が……」

 

 俺はまずいと即座に佐賀さんにそう提案するが、佐賀さんはいつの間にか腰を抜かし、その場に座り込んでいた。とてもではないが自力では動けそうにはない。

 

「掴まってください!」

「ああ……」

 

 佐賀さんの手を取って肩を貸そうとするが、その時異形の化け物がこちらに気が付く。すると、無数の顔から一斉に言葉が吐かれた。

 

「痛い 助けて 苦しい 誰か 水 痛い 苦しい やめて 死にたくない 苦しい お母さん 苦しい 助けて」

 

 助けをう悲痛な叫びとは裏腹に、確固たる殺意・・を向けて鈍足ながらも確実にこちらへと向かって来る。

 

「ああ、こんな時だっていうのに……」

 

 だが、そんな絶望的な状況下で、俺はまるで初恋をした少女のように胸に熱いものがこみ上げてきていた。

 

 戦いたい! いや、だめだ。今度こそ死んでしまう。だけど戦いたい。あの化け物を殺したい! 苦しい。こんなにも戦いたいのに! 逃げなきゃいけないなんて。

 

「ひぃッ!」

 

 そんな時、佐賀さんが異形の化け物ではなく、俺を見て・・叫び声を上げる。しかし、そんなことは今の俺にとっては、どうでもよかった。

 

「む、無理だ。我慢できない。前よりもこれはやばすぎる。本当に死んじゃうかも」

「な、なにを言って……」

 

 俺は肩を貸そうとしていた佐賀さんから離れ、長剣を引き抜く。

 

「さあ、殺ろうか!」

 


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