018 道化の男

 翌朝、黒栖は何事もなく目が覚めると、即座に自宅へと帰ろうとしたが、そこは白羽に止められ、朝食をごちそうになる。

 食パンに、生ハム、サラダとスクランブルエッグなど、手軽なものだが、どれも美味であり、黒栖は瞬く間に完食した。

 その後、白羽がお弁当も作ると言ったが、流石に黒栖も遠慮をする。しかし、それに食い下がる白羽だったが、どのみち黒栖はお弁当箱を持っていなかったので、作ることはできない。
 故に、白羽は明日の土曜日、黒栖のお弁当箱を買いに行くことに決めた。
 もちろん黒栖も付き添いであり、そこに拒否権は無い。

「すまないな」
「いいよ。好きでやっている事だから」
「そうか、助かる」
「うん」

 二人はそんなやり取りをしつつ、学校へと登校した。
 その時、黒栖が気を効かせて、別々に行こうかと提案をしたが、それを白羽は難なく拒否する。今更、隠すような間柄ではないのだからと。

 そうして、通学路を二人並んで歩いていると、当然他の生徒達の視線が向き、言葉が飛び交う。

「あれって天橋さんじゃないのか? 隣の男はいったい誰だ?」
「確か教室で抱き合っていたとかいう……」
「狭間のやつ登校してきたのか、貴島君に早く知らせないと」
「チッ、美男美女かよ、爆発しろ……」

 中には、何やら不穏な事を言って学校へと全力疾走していく生徒もいたが、それ以外は嫉妬や、羨望、話題の人物に興味津々きょうみしんしんなど、多岐にわたる。

「なんだか注目の的だね」
「そうだな、嫌か?」
「ううん。嫌じゃないよ」
「そうか」

 多くの視線にさらされる中、落ち着いたように二人は会話を交わしながらも、学校へと辿り着いた。
 そして、教室のある三階に上り、廊下を少し進んだところで、その人物は現れる。

「よう狭間、よく学校に来れたな? 最近は何か怖い目にでもあって、ビクビク震えているって聞いたんだが、大変だったな? そして、おはよう白羽。そんな奴の側にいると危険極りないから、直ぐに離れた方が良い」
「ん?」
「え?」

 そう嫌味ったらしく現れたのは、もちろんクラスカーストの頂点にいる男、貴島旺斗きじまおうとだった。
 その金髪に染めたサラサラの髪を、キザったらしく右手でかきあげ、白羽に笑みを飛ばす。

 黒栖はそれを見て、腹が立つよりも先に、ゲロ兄・・・という呼び名を思い出していた。そう、旺斗の妹である姫紀が、自身の兄を呼ぶときの名である。
 対して白羽は、いい加減にしてほしいと、怒り心頭だった。何度拒否してもつきまとって来るので、既に嫌気がさしているのだ。

「そうだぜ。その子だって嫌がっているだろう?」
「お前のそれはストーカーだぜ」

 すると、待っていたかのように、いや、実際待っていたのだろうが、黒栖と白羽の背後から、体格の良い上級生が二人現れる。しかも、見当違もはなはだしく、黒栖に対してその言葉を投げかけていた。
 どうやら、前回絡んできた三人の上級生とは別人のようであり、残念ながら黒栖の恐ろしさを知らず、こうして絡んできたのだ。

「はぁ、馬鹿馬鹿しい」
「は? 何言ってるんだお前?」
「おい、それって中二病か? 笑えるぜ!」

 上級生二人は馬鹿笑いを始める。だが、それに比べて黒栖は冷めていた。
 毎日死と隣り合わせであり、大切な人を奪われるかもしれないという恐怖、そして、その大切な人を殺さないといけないという絶望。
 非常にまわしいと思っているのに、こうして平穏な日常までもおびやかされては、溜まったものではない。
 故に、もう二度と関わる事が無いよう、知らしめる。

「え? うぉあああああああああ!!」
「落ちッ!? ひぎゃあああああ!?」

 上級生二人は、その場でもがくように倒れ込み、手足を懸命にばたつかせていた。

「なんだ? あの二人どうした?」
「やばい薬でもやっていたんじゃ?」
「SNSにアップしよう」

 遠巻きに見ていた野次馬たちが、そう言ってスマホを片手に騒ぎ出す。
 それを見ていた旺斗といえば、話が違うと怒りをあらわにして、二人に急いで駆け寄った。

「おいっ! 何をふざけているんだ! これじゃあ逆効果だろ! ってうわ!?」
「誰か助けてくれぇええぁあああ!」
「死ぬぅうううう!!」

 旺斗の言葉に聞き耳を持たない二人の上級生は、未だに声を上げて、転げまわっていた。涙と鼻水、そして尿をまき散らすそれは、誰から見ても無残な光景だ。

「黒栖君……これって」
「ああ、少しだけ罰を与えた」
「少しだけ?」
「ああ、少しだけだ」

 そう、二人の上級生は黒栖の手によって、現在視界と聴力だけだが、パラシュート無しのスカイダイビングをしている。
 これは、普段黒栖が視界を飛ばしている能力、追撃者チェイサーと時空魔法を併用したものだ。

 今回はそれを、自分ではなく、他人に施している。それも黒栖が普段は使用しない聴力も含まれていた。
 つまり彼らは、視界と聴力に限り、現実とほとんど差が無い幻覚を見ているようなものである。
 体格が優れていたとしても、普通の高校生に耐えられるはずがなかった。
 そうして、時間にして数分が経ち、ようやくその地獄から解放される。

「うぉああああ――あ?」
「おかあちゃぁああああ――え?」

 間の抜けた声と共に、その場には静寂が広がった。
 しかし、そんな空気など、二人には関係がない。

「うそ、だろ……だって、空を飛んで……」
「足がつく、足がつくんだ……」

 自身の生還に、混乱と感激をしながらも、ようやく二人の上級生は、目の前の惨状さんじょうに気がつく。

「……」
「……」

 二人はそれ以降何も言わず、汚れた廊下をそのまま残して、逃げるように無言で去って行った。

「な、なんなんだよ!? なんなんだよこれは!!」

 その場に一人残された旺斗は、錯乱さくらんしたかのようにそう叫び、声が周囲へと響き渡る。
 あまりにも非常識な現象。それを黒栖がやったとは、白羽を除いた誰一人として、考えてはいなかった。

 結果として、旺斗の関係者らしい、という事だけが知れ渡り、その顔へと盛大に泥をかぶった旺斗は、野次馬たちの好奇心あふれる視線にさらされる。

「み、見るな! そんな目で僕を見るなぁあああああ!!」

 輝かしい自分の人生では一度として、そのような視線を向けられた事が無かった旺斗は、のがれるかのように、必死でそう叫ぶ。
 しかし、その返事の代わりに返ってくるのは、スマホのシャッター音と、動画の録画音、あとは話し声だけだった。

「や、やめろ! 撮るな! 僕は関係ない! 関係ないんだぁああ!!」

 そうして到頭とうとう、旺斗は耐えられなくなったのか、二人の上級生と同様に、その場から走り去って行く。
 それに対して、唯一黒栖は残念だと思っていた。何故ならば、二人の上級生の次は、旺斗の番だと考えていたからだ。ある意味、旺斗は運が良かったと言える。

「さて、そろそろ教室に入るか」
「そ、そうだね」

 何事も無かったかのように黒栖はそう言って、白羽と共に教室に入った。


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