「それでその、今日は私が黒栖君の家に泊まるって事でいいのかな?」
白羽は、緊張しながらも、そう話を切り出す。今になって意識し始めたのか、つい周囲に視線を動かしてしまう。
「いや、転移の事を考えれば、白羽の家の方がいいと思う」
「そ、そうだね」
黒栖の言葉に、白羽は少々落胆してしまうが、それでも同じ部屋で眠る事には変わらず、ベッドも白羽の自宅には一つしかない。それに気がつくと、布団はどうしようとか、もしかして一緒のベッドで眠るのだろうか、という事を白羽は妄想してしまう。
幸い、白羽は一人暮らしだ。何か問題があったとしても、仕方がないと思ってしまう。一つ屋根の下に、若い男女が二人きり、しかも同じベッド。きっと何かが起こってしまうかもしれないと、白羽の妄想は加速していく。
だが、その妄想も、次に発した黒栖の言葉で打ち消される。
「そういえば、白羽の自宅にはソファがあったな、俺はそこでいい」
「……え?」
「普通の人よりは頑丈だから、体もそこまで痛まないだろう」
「で、でも、それじゃあだめだよ」
ソファで眠るという黒栖に、心配と若干の下心から、白羽は否定をする。
しかし、そこは真面目な黒栖。それで引き下がるはずがなかった。
「大丈夫だ。そもそも、覚醒エネルギーを少しだけ使用すれば、どこでも眠れるし、三時間眠れれば十分なんだ。白羽の近くで眠るのは、あくまでも白羽の安全と、俺のコンディションを整えるためだから、気にしないでくれ」
「けど……」
「本当に大丈夫だ」
「本当に?」
「ああ」
「ベッドじゃなくてもいいの?」
「ソファで問題ない」
「……そう、わかった」
白羽は、首を縦に振るしかなかった。そこで一緒のベッドで寝ましょうなんて、とてもではないが言えるはずがない。
後ろ髪を引かれる思いだが、白羽は同時に、自分はさっきから何を考えていたのだと、自身を心の中で叱咤して、その事を改めてきっぱりと諦めた。
そうして、白羽が一人で暮らしているマンションへと、二人が向かう準備をしだした時、黒栖はある事を思い出す。
「もしかしたら、俺と白羽を一緒に転移させられるかもしれない」
「え?」
黒栖が呟くようにそう言うと、自身の右手を閉じたり開いたりして感覚を確認し、少し経ってから何かコツを掴んだのか、徐に右手を白羽に対して差し出す。
「俺の手をとって身を任せてくれ」
「う、うん」
差し出された右手に、白羽は少し戸惑いながらも、被せるように自身の右手を乗せた。身を任せるという感覚はよく分からなかったが、何をされても受け入れるように、白羽は強く念じる。
そして、それは一瞬だった。
「ふぇ? すごい……」
そこは、間違いなく白羽の自宅。今まで何度も黒栖が転移するところを見てきたが、いざ自分が体験してみると、その現象に驚きを隠せず、つい間の抜けた声を出してしまう。
「それはなによりだ」
「あ、……うん」
珍しく笑みを浮かべる黒栖に、白羽はなんだか恥ずかしくなってしまう。
それと同時に、まるで子どもを微笑ましく見るような瞳もできるんだなと、少し見惚れてしまった。
「さて、複数人の転移は問題ないようだし、必要な荷物を取ってくるから待っていてくれ」
「うん、待ってる」
軽く会話を交わすと、黒栖は一人自宅へと転移する。その心持ちは、以前よりも晴れ晴れとしているように見えた。
それから、黒栖は寝泊りするのに必要な荷物と、白羽の置き忘れていった靴などを持つ。
いままでであれば、これほど多くの荷物を持って転移する事はできなかった。
しかし、それを可能としたのは、今回戦ったデスハザードの言葉を思い出したからだ。
それは、白羽と転移して逃げたという内容。つまり、今回のデスハザードは、複数人の転移をしていたという事であり、即ちそれは黒栖も可能だという事だった。
実際、意識を巡らせ、無抵抗で自分に触れているものならば、複数人の人物や、多くの荷物を転移する事ができる。だが、やはり必要な代償は多く、少なくない量の覚醒エネルギーを消費してしまう。更に、慣れるまではその分多く無駄に失ってしまうので、練習が必要だった。
だが、この複数人を転移する事ができるというのは、そのマイナス面と比べても、余りある見返りがある。もちろんそれは、白羽の安全性が増すという事だ。
その理由さえあれば、他の問題は些細な事に過ぎない。消費した覚醒エネルギーは、また集めればいいのだから。
そうして、準備を済ませた黒栖は、白羽の自宅へと、再び転移する。そして、目の前に広がったのは、1DKのマンション。白羽の自宅だ。今思えば、この狭い空間で、デスハザードとほんの僅かだが相対していた。散らかった家具も、隔離空間から戻れば元通りであり、仮に布団を敷くとすれば、白羽の部屋しかない。その中で、黒栖が選んだのが、ダイニングにある白いソファである。
「やっぱりソファで眠るのは……」
戻ってきて早々、白羽はやはり黒栖だけをソファに寝かせることに対して、気が引けてしまう。
故に、せめて布団でも敷いた方が良いのではないかと、そう黒栖に提案をしようとするが、その途中で遮られる。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ。白羽の部屋で何か起きれば、即座に対応できるからな」
「そ、そうじゃなくて」
話しがかみ合わなかった。白羽が気にしているのは、自分の安全などではない。
しかし、黒栖の発した次の言葉で、それも意味がなくなってしまう。
「それに俺も、流石に白羽の部屋だと眠れなくなる」
「え?」
思わず、白羽はそう聞き返してしまった。
「よく分からないが、緊張するんだ。だが、決して白羽の部屋が嫌という訳ではない。これは個人的な問題だ」
「……そうなんだ。緊張するんだ」
それを聞いて、白羽は笑みを浮かべる。黒栖がちゃんと自分に興味を持っていると。
「し、白羽?」
「うん、わかった。それなら仕方がないよね」
「あ、ああ。助かる」
終始ニコニコしている白羽に、黒栖は若干戸惑ったものの、ソファで眠る事を快諾してくれてよかったと、一安心をする。
そうして、ようやく黒栖の長い一日は、終わりを告げようとしていた。
姫紀を助けた事から始まり、自身の愚かな閃き、遠ざかってしまった白羽との心の距離、デスハザードの襲撃に加え、その後再び近づいた白羽との心の距離、そして最後には、こうして同じ屋根の下で睡眠をとる。
明日、明後日は、いったいどうなってしまうのか、黒栖は不安になってくるが、それを振り払う。
明日も、明後日も、何があろうとも白羽を守り切ると、そう強く決意したのだった。
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